毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

マネージャ―は部下に任せるのが本当にいいのか?~『HIGH OUTPUT MANAGEMENT 人を育て、成果を最大にするマネジメント 』A・S・グローブ氏(2017)

HIGH OUTPUT MANAGEMENT 人を育て、成果を最大にするマネジメント 

 インテル元CEOのアンディ・グローブが、後進の起業家、経営者、マネジャーに向けて、一字一句書き下した傑作。(原書は1984年、復刊は2017)

部下をどうやってマネージするか?

マネージャーの最も重要な責任は、部下から最高の業績を引き出すことである。・・・(それでは)たった一つの最上のマネジメント・スタイル、つまり、これに勝るものはないといったような良いアプローチが果たしてあるのだろうか?(252ページ)

部下のタスク関連習熟度(TRM)

これは、今手がけているタスクに関連したきわめて個別・具体的なものであり、特定の人または特定のグループの人々は、ある仕事では高いが別の仕事では低いTRMを持つことが十分ありうるのだ。・・・(あるマネージャーを違った分野に移動させると成績が悪化することがあるが)マネージャーの個人的成熟度は変らないが、環境、内容、タスク、など、すべてが新しいことだったので、新しい仕事での彼のタスク習熟度が極端に低くなったということなのである。・・・結論としては、タスク習熟度が変わるにつれて、様々なマネジメント・スタイルが必要になるということである。(255ページ)

部下のタスク習熟度に応じた効果的マネジメント・スタイル

 

部下のタスク習熟度(TRM)

効果的マネジメント・スタイル

明確な構造(仕組み)、タスク指向―“何を”“いつ”“どうして”を示す

個人志向―双方向通行的コミュニュケーション、支持、お互いの判断力を重視する

マネージャーの関与を最小限に―目標を設定し、モニターする

 

ここで一言注意しておきたいが、明確な構造を持つマネジメント・スタイルのほうがコミュニケーション志向のスタイルよりも価値が低いなどと、判断しないことである。何が「良く」て何が「悪い」ということは、あなたの考え方や行動の中で、いかなる場も占めてはならない。われわれ追求しているのは、何が最も“効果的”かという点である。(256ページ)

 子供に自転車を与える場合

親は子供に単に好き勝手に(自転車で)外へ出すわけではない。側につき添って自転車が倒れないように保護しながら、道路での安全について話してやるだろう。子供の成長がさらに進めば、親は細かい指示を省けるようになる。最後には、子供の生活習熟度が充分に進み、子供は家を離れ、大学に入ることも考えられえる。この時点になると、親子の関係は再度変わり、親や単に子供の進歩の度合いをモニターするだけとなるだろう。(257ページ)

マネジメント・スタイルは変わる

開けたマネージャーは(明確な構造を持った、何を、いつ、どうして、を指示する)こういううるさいやり方は使うべきではないように考える。結果として、手遅れになってどうにもしようがなくなるまでそれを取り上げようとしないことが多い。・・・(マネージャーは)マネジメント・スタイルの良し悪しをではなく、それが効果的か効果的でないかの判断を学ばなければならない。こういうわけで、リーダーシップの研究者にはマネージャーが使う唯一最良の方法が見つからないのである。それは毎日のように変わるし、時々刻々変化するのである。(260ページ)

ハイアウトプット・マネジメント

アンディ・グローブは「マネージャーの最も重要な責任は、部下から最高の業績を引き出すことである」という。

それではマネージャーはどうやって引き出すか?それには唯一絶対の方法はない。相手によって環境によって変わる、ということである。

一般的には任せるマネジメント・スタイルが上等で、マイクロマネジメントスタイルはあまり良くない、と捉えられている。しかしTRMの低い部下をどうなるか?子供に自転車を与えたら、練習もせず自由に乗らせるか?訓練・経験などによって部下のTRMを上げてマネジメント・スタイルを任せる方向に持っていることが必要である。

本書でも触れられているとおり、マネジメント・スタイルに良いも悪いもない。あるのは何が一番効果的か、という点だけである。

マネジメントは人と人との関係である以上感情から逃れられない。だからこそマネージャーはマネジメント・スタイルにこだわる感情から自由でなければならない。マネージャーがこだわるべきは一番効果的な方法である。

蛇足

子供は成長するだけだが、ビジネスは成長・後退を繰り返す

こちらもどうぞ

  

kocho-3.hatenablog.com

 

250年前、チェス指しロボットが存在していた!?~『 謎のチェス指し人形「ターク」』T・スタンデージ氏(2011)

 謎のチェス指し人形「ターク」

スタンデージ氏は作家、1770年、ウィーンで常軌を逸した発明がベールを脱いだ。通称「ターク(トルコ人)」というロボットは、世界第一級のチェスの指し手だった! (2011)

 

チェス指し人形「ターク」の誕生

 

1769年の秋のある日、35歳のハンガリーの文官ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは、オーストラリア=ハンガリー帝国の女帝マリア・テレジアの宮廷に召し出され、そこに招待されていたフランス人奇術師の舞台を目撃することになる。・・・それからいろいろな出来事が起き、彼は奇想天外な機械を創ることになる、その機械は、木製のキャビネットの後ろに座って東洋風の衣装を着た人間の形をしており、チェスを指すことができたのだ。(3ページ)

知的作業を行う機械

ケンペレンの仕事は知らず知らずのうちに、動力織機、電話、コンピュータ、そして探偵小説の発想を喚起することになった。・・・それは本物のオートマトンではなく、人間のオペレーターがこそこそとコントロールして巧みに動く、糸で吊るされた操り人間みたいなものだった・・・ケンペレンは自分の機械にチェスを指させるという、明らかに知的な仕掛けを選んだとき、「機械は人間の能力を模倣したりそのまま再現したりできるか」という活発な論争に火をつけたことになる。この機械がデビューした時期は偶然にも産業革命が起こった時期と重なり、機械が人間の労働者を置き換え、人間と機械の関係が再定義されている最中だった。チェスを指す機械は、機械は人間の身体能力を上まわることはありうるが、心理的な能力を超えるのは無理だ、という考えに染まっている人には驚異だった。これが起こした人々の反応は、200年以上も経って、コンピュータが起こしたそれの先駆けだった。(6ページ)

チェス指し人形「ターク」がインスパイアしたもの

(後に自動織機を発明した)カートライトはロンドンでタークを見物したばかりだっだ。彼はすぐに、チェスを指すことのできる機械を作れるのだったら、自動織機を作ることだってできるだろうと推測した。(74ページ)

バベッジは)チェスを指せる本物の機械が可能なのかと思いをめぐらすようになった。・・・(バベッジの作ったコンピュータの元祖とも言える)階差機関の一部にあたる何かは、まるでタークのように、機械がいずれは人間の精神活動さえ代替できる可能性を示していた。(150ページ)

エドガー・アラン・ポーの)タークを分析した(エッセイの)方法は、その後に彼が書くことになるミステリー小説の原型であると広く見なされ、・・・(184ページ)

 

f:id:kocho-3:20170123080956p:plainトルコ人 (チェス) - Wikipedia

 

 

謎のチェス指し人形「ターク」

今から約250年前、チェス指し人形「ターク」が誕生した。その制作目的が見世物であり、更に言えば人間が操作する騙しだった。これら出生の秘密を越え、「ターク」は機械が知性を持つことができるか、という大きな命題を提示することになる。

この命題は自動織機のカーライト、階差機関のベバッジ、ミステリー小説家のポー、コンピュータのチューリングなど多くの人々をインスパイアすることになる。

約250年前に着想された「ターク」、つまりチェス指し人形は現在のコンピュータ・テクノロジーによって実現している。ケンペレンが様々な選択の中からチェスを選んだ慧眼に感服させられる。

蛇足

ケンペレンは人口音声も研究していた

こちらもどうぞ

 

kocho-3.hatenablog.com

 

 

kocho-3.hatenablog.com

 

いつ、カースト制度はインド社会に導入されたのか?~『 インド人の謎』拓 徹氏(2016)

 インド人の謎 (星海社新書)

 拓氏は現代カシミールの社会史・政治史の研究家、混沌のインドはいつから混沌のインドになったか?(2016)

 

カースト制度はイギリスが再定義した

広大なインド亜大陸を統治するにあたり、イギリス政府にはインド社会の性格を理解する必要がありました。そこで18世紀末から19世紀初頭にかけて、イギリスのインド統治関係者や西欧の東洋学者らは、インドの「歴史的本質」を古代サンスクリット語聖典に求めました。・・・そしてこのときはじめて、古代サンスクリット語聖典にあるバラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラというカテゴリーがインド社会全体に適用され、これら四ヴァルナ(階層のこと、これに不可触民)によって構成された「カースト社会」であるという観念が成立したのでした。・・・さらに都合の良いことに、イギリスが入り込む時期のインドには、ちょうどこのヴァルナの考え方に当てはまるような社会が出現していました。・・・ですがこのことは同時に、ヴァルナ制度が古代からえんえんち変わることなくインドで存続したという錯覚をも生み出しました。(51ページ)

日本もカースト社会だった?

日本社会もつい百年ほど前までは、多様な身分や階層の区別で覆われていました。インド社会がかかえる多様性は、じつはそれほど特殊な現象ではないのです。・・・日本の場合は幸い、こうした(戦前の近畿地方の部落問題など)多様な社会集団の区別はその後、次第に忘れられて行きました。

ですが、もし日本が当時、欧米列強の植民地だったらどうでしょう。そしてこうした多様な社会集団の区別が、植民地政府の手で国勢調査のさい詳細に記録されることによって、日本社会の中に永く残っていたとしたら?

イギリス植民地時代のインドで起きたのは、まさにこうしたことだったのです。(49ページ)

近代以前のインド

18世紀以前のインドでは農民は、土地に必ずしも従属しておらず、かつ国土には森林地帯に囲まれており、豊かな社会を形成していた。従って近代以前のインドでは高カーストの地主総が低カーストの小作農を搾取する定住農耕的な村社会を形成してはいなかった。

カースト制度はイギリスが植民地支配の為に再定義した。そもそもカーストという名称自体がポルトガル語の血統に由来、インド固有の言葉ではなかったという。

著者は「インドの多様な宗教、言語、文化までもがあたかも古代の遺跡群と同様、千年近くもその姿を変えずに存続しているかのような錯覚をもたらしています。・・・インドの有名な「カースト制度」についても、それが古代から形を変えずに存続しているという風に考える向きがあります。」(4ページ)という。カーストは植民地経営によって現在の姿になったのである。

拓氏は戦前の日本と対比することで、カーストと植民地経営について教えてくれる。

蛇足

カーストの根底には人種差別の思想

こちらもどうぞ

 

 

kocho-3.hatenablog.com

 

kocho-3.hatenablog.com

 

kocho-3.hatenablog.com

 

どうしてヒトの脳は大きくなったのか?~『幼児化するヒト - 「永遠のコドモ」進化論』C・ブロムホール氏(2005)

 

幼児化するヒト - 「永遠のコドモ」進化論

ブロムホール氏は動物行動学のバックグラントを持つTVディレクター、地球上で最も奇妙な進化のプロセスを続けてきた人間は幼児化してきた!(2005)

 

デズモンド・モリス氏の序文より

(本書の)テーマは、私たちがピーター・パンのような種になった―すなわち私たちが永遠の子供になったということである。これを原点として、人間の攻撃性の減退、協力姿勢の高まり、愛と結婚を基本的な配偶システムとする心理状態、そして非常に大きく、非常に奇妙な、非常に好奇心旺盛な脳といった現象が説明されていく。(7ページ)

大きな脳は性誘引物質

女性は男らしさと子供らしさの両方の特徴を備えた顔の男性に最も引かれる。そして外見を幼児的にする頭部の特徴の中でもとくに有効なのは、間違いなく半円状の大きな頭蓋である。・・・人間の大きな頭の場合、この同じように犠牲の大きい特長が、オスが幼児的で強い一雌一雄関係を形成する見込みが高いことを示唆しているのである。(191ページ)

大きな脳は知的能力とは別の存在

何十万年ものあいだ、私たちの祖先の脳はいっこうに勢いを弱めることなく成長を続けたが、この拡大し続ける性誘引物質から知的な恩恵を得ることはほとんどなかった。・・・これらの祖先が繁栄できたのは、高度な技術や知的能力があったからでなく、一雌一雄関係と男女の分業にもとづく非常に協力的で団結力のある社会組織ができていたからだった。(193ページ)

新しい脳のオペレーティングシステム

猿人を人間に変えた徹底的に新しい配線、あるいは脳のオペレーティングシステムは、脳の一部を外部の影響から自由にさせる―ある記憶から別の記憶へと無制限に移ろわせる―一方で、脳の他のい部分には外世界からの情報を分析させるという、ただそれだけのものだった。コンピュータ―のプロセッサと同様に、脳は「パーテーション」で区切られている。この脳の二つの部分が複雑に混合されて、主観、すなわち自分以外の誰も経験することのない世界意識を創り出す。(196ページ)

脳がスーパーコンピューターとなる

私たちが他の類人猿と分岐してかrた、その進化過程の99パーセントのあいだ、私たちの巨大な脳は、脳の大きさが1/3のチンパンジーとほとんど変わらない計算能力しか私たちに与えてこなかった。それがたまたま修正されて、持ち主に夢を見させると同時に意識を持たせるようになった結果、眠れる巨人だった私たちの脳はにわかに今日のような生物学的スーパーコンピューターになった。(202ページ)

幼児化するヒト

人という動物は、体毛が少なく、平坦な顔をし、大きな頭を持つ。これらの特徴を一言で言えば赤ん坊のチンパンジーの様である。動物行動学を研究した経歴を持つブロムホール氏はこれら身体的特徴は性淘汰、主に女性が男性の身体的特徴から配偶者を選ぶこと、によって加速されたと説明する。幼児的な特徴を持つ男性が安定的な関係維持の観点から配偶者に相応しいと考えるからである。

著者は大きな脳も最初は性誘引物質であり知性とは関係なかった、と分析する。この仮説が正しいかは更なる研究が必要であるが、脳の肥大にも関わらず、知性の長い停滞期の存在、物理的脳の変化ではなく脳の配線=オぺーレーティングシステムが変化することで意識が生まれた、といった他の現象を上手に説明している。

ヒトが繁栄したのは、まず集団を上手にオペレートできること、次に知性が加わった。知性が最初にあったから繁栄したのではない。幼児化するヒトという発想はこのことを明らかにしてくれる。

蛇足

男性アイドルは幼児化している?

こちらもどうぞ

 

kocho-3.hatenablog.com

 

 

kocho-3.hatenablog.com

 

オリジナルを追求することに失敗はない~『 ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代』A・グラント氏(2016)

 ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代【2016年Kindle三笠書房ランキングベスト10書籍】

グラント氏は組織心理学者、「独創性」は、与えられるものではない。すでにあなたの中に存在するのだ――(2016)

 

オリジナルとは

私のいう「オリジナリティ」とは、ある特定の分野において、その分野の改善に役立つアイデアを導入し、発展させることを意味する。

オリジナリティそのものは、創造性(クリエイティビティ)に端を発する。まず何より、斬新で実用的なコンセプトを考えだすことだ。それだけでは終わらない。オリジナルな人とは「みずからのビジョンを率先し実現させていく人」である。(20ページ)

ガリレオの創造性はどこから生まれたのか

ガリレオは月に山があるという驚異的な発見をしたが、ガリレオの使っていた望遠鏡にはその発見ができるような拡大率は備わっていなかった。拡大することで発見したのではなく、月の明るい部分と暗い部分を分けているジグザグの模様があることに気づいたのだ。・・・ガリレオは物理学と天文学の豊かな知見があったが、絵画と素描にも造詣が深かった。光と影の表現に重点を置いた“明暗法”という技法を学んでいたおかげで、ガリレオはほかの天文学者には見えていなかった「月の山」を見つけることができた。(88ページ)

オリジナルでいることの幸せ

朝起きると、世界をよりよくしたいという欲求と、そのままの世界を楽しみたいという欲求の板挟みになる」と、作家のEBホワイトは書いている。・・・しかしオリジナルな人たちは、あえて苦しい戦いを選び、理想の世界を実現しようと取り組んでいる。人生を向上させ、より多くの自由を得るために行動することによって、一時的に快楽を捨て、みずからの幸福をあと回しにしているかもしれない。

しかし長い目で見ると、彼らは世界をもっと素晴らしい場所にするチャンスを手にするだろう。・・・「オリジナルでいる」ことは、幸せにいたる道としては、けっして簡単なものではない。しかし、それを追い求めることの幸せは何にも代えがたいのである。(368ページ)

ORIGINAL~誰もが「人と違うこと」ができる時代

ガリレオ以外にも多くの天文学者が月を観察していたが、山の存在に気づくことはなかった。ガリレオが他の天文学者と違ったには絵画と素描など芸術への造詣を持っていたことである。

芸術の素質が重要である、と言いたいのではなく様々なバックグランドを持つこと自身から人は独自の創造性を秘めていると理解する。同じ経験をしても、人は違った感想を持つ。創造性というのは特定の人だけに与えられたものではなく全員に備わっていることになる。しかし、創造性を行動に移す人は限られた人である。それは行動しないからである。

我々はそもそも世界をまるごと愉しむことができる。オリジナルに挑戦すること、人と違ったことを行う人は100%苦労をすることになる。しかし、著者のグラント氏は苦労それ自体が楽しみになると言う。だとすれば我々は失敗してしまう可能性はゼロ、ということになる。

「考えた上で覚悟を決めた少数派の市民が世界を変えることができることを、決して疑ってはならない。実際、いつも、それしかなかったのだ。」byマーガレット・ミード(人類学者)

蛇足

人と違うこと、それは非常識ということ

こちらもどうぞ

 

 

kocho-3.hatenablog.com

 

実は20世紀、日本はパワーゲームの主役だった~『優位戦思考に学ぶ 大東亜戦争「失敗の本質」』日下公人氏×上島嘉郎氏(2015)

優位戦思考に学ぶ 大東亜戦争「失敗の本質」

 大東亜戦争における日本の「失敗の本質」とは何か? それは、「戦争設計のなさ(政治的に何を勝利とするかが不分明)」であったこと。我々はここから何を学ぶか?(2015)

 

優位戦思考

優位戦は、攻めることも守ることも自在、戦いのルールから、勝敗や和平の定義まで決められる立場から仕掛ける戦いで、劣位戦はそれらのイニシアティブがない立場からの戦いです。(21ページ)

優位戦思考とは、自分がどのようんばカードを持っているか、あるいは持ち得るか、相手との比較のうえで何ができるかを考えることです。自分の長所短所をわきまえることは前提ですが、その後は、相手よりいかに柔軟な思考、発想ができるか、そしてそれを実行に移すかという“勝負の世界”です。・・・(例え不利な条件があっても)さらに何が可能だったかを考えることが優位戦思考です。(87ページ)

20世紀のパワーゲームの主役は日本だった

世界史的な視野で20世紀の百年を振り返れば、そのパワーゲームの主役は日本でした。中国も、ロシアも、イギリスも、日本と戦ったことで哀運に傾きました。ロシアは日露戦争に敗れて帝国を失い、ソ連となって第二次大戦では勝者の側にいても、「中立条約違反」と「侵略による領土獲得」という道徳的敗北を喫しました。その後、同盟国として日本が支えたアメリカとの経済戦争でも敗れ、ソ連という国家は崩壊しました。

中国も、清という国は日清戦争で潰れ、中華民国という蒋介石の国も毛沢東共産党に敗れて台湾に逃げざるを得なかった。イギリスも日本を敵に回したことで全アジアの植民地を失い、英連邦は残っているとはいえ往年の大英帝国ではない。

第二次大戦とその後の冷戦に勝利したのはアメリカですが、彼らは人類初の「原爆使用」という道徳的な疵(きず)を負いました。(287ページ)

大東亜戦争失敗の本質

日本海軍は結局、決戦をしないままに潰れてしまった。敗因の第一は、上層部の戦争指導力の弱さです。・・・決戦を日本に有利な場所と時機に敵に強制するべく戦争全体を設計するという思想がなかった。・・・(第一次大戦では戦勝国となっており)その後はこちらが敵を選べるくらいの大国になり、強くなったとき、どう相手を選ぶかという政治指導者、高級軍人を育成できなかったのが残念です。(272ページ)

優位戦思考に学ぶ

優位戦思考とは相手よりより抽象度の高い、より広い見地から全体を俯瞰することによって得られる。日下氏は20世紀が日本が主役だったと指摘する。日清、日露、第一次大戦と戦争によってパワーゲーム上の大国だった。しかし日本はそれを認識しないまま、劣位戦、相手の作ったルールで戦争を始め、敗戦する。なぜなら戦争を始めてみたものの、戦争全体の設計、更に言えば目的がはっきりしていなかった。日本は自分の持てるパワーを認識しないことで、戦争に負けていた。

ここから我々が学ぶべきは、「自分の持てるパワーで優れた基準をつくって、世界に普及させる」という優位戦思考の重要性である。“自ら“には日本と置いてもいいし、我々のビジネス、思想、文化、を当てはめてもいい。更に今風な表現を使えば、自らストーリーを語ること、である。

蛇足

謙遜も過ぎれば大きな不幸を招く

こちらもどうぞ

 

kocho-3.hatenablog.com

 

 

kocho-3.hatenablog.com

 

世界一周に目的はあるのか?~『行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅』石田ゆうすけ氏(2006)

 行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅 (幻冬舎文庫)

石田氏は旅行作家、「平穏な人生?それが運命なら自分で変えてやる!」そう決意してこぎだした自転車世界一周の道。出会いと別れを繰り返しながら駆け抜けた七年半の旅。(単行2003年、文庫2006) 

なんで世界一周なの?

理由はいろいろある。だけど根本の部分はひどく頼りないのだ。ただ、やりたかった。せっかく生まれてきたのだから、世界中を全部この目で見てみたかった。でもそんなことをすると、あまりに単純すぎて、言っている本人でさえしらけてしまう。(25ページ)

アフリカの母

野菜を地面に積み上げて売っているオバサンがいた。着の身着のままのような恰好をしており、腕がやはりひどく細かった。彼女の前に野菜がなかったら、物乞いに見えたかもしれない。

ぼくはトマトを四つ手にとって、「ハウマッチ」と値段を聞いた。・・・僕は財布から5百メティカル札を4枚取り出して手渡した。すると、オバサンはその1枚を返してきた。まけてあげるよ、という顔で。ぼくはびっくりして、慌ててそのお礼を彼女の手に戻そうとした。彼女の暮らしぶりを想像すると、とても受け取れない。・・・それはただの親切ではなかった。特別だった。ぼくの薄汚れた格好と、荷物をつけた自転車を見たからに違いないのだ。ぼくは抱えていたトマトを袋に入れると、オバサンの細い手をとり、握りしめた。涙が次々にこぼれ出てきた。オバサンの目は、紛れもなく“母”の目だったのである。(215ページ)

旅の美談で終わらせてはいけない

旅に出れば、必ず現地の人のやさしさに触れる。それを“旅の美談”として歓迎し、きれいな思い出として自分の記憶のなかにしまう。それだけで満足しているんじゃないか。―僕は、1人で、どこか得意になってはいないだろうか?

いま、自分がここにいることを当たり前に思ってはいけない。すべての偶然と僥倖と、数々の大きな心に支えられて、自分はここにいるということを肝に銘じておかなければならない。・・・これまで与えられた慈しみを、瞳の色を、いつも心に留め、あるいはこれから自分がささくれだつような瞬間があれば、それらを振り返って立ち止まり、そしてこれから自分も返していくのだ、、、。(300ページ)

行かずに死ねるか!~世界9万5000㎞自転車ひとり旅

石田氏は1995年から2002年までの7年半、ひとりで自転車世界一周をした。本書はその時の旅の記録である。石田氏は“自転車世界一周は大冒険ではなく、旅行に過ぎない。世界一周をやっている人もたくさんいる。”という。石田氏はどうして世界一周を始めたのか?その動機は頼りないものである。更に長い旅行を続けていると“自分は何をしたいのだろう?ただ、移動しているだけ。自分はどこに向かっているのだろうか?”

人生に最初から明確な目的が存在しない様に、世界一周といえどもそこには明確な目的は見出しづらい。石田氏はエピローグで「これから、どういう形で、受け取る側から与えていく側にまわるのか。」(308ページ)と書く。人生という言葉を使うのは恥ずかしいが、人生に何らかの意味があるとすれば、それは与えられ与えること、なのであろう。

蛇足

世界は既に十分に豊かである

こちらもどうぞ

 

kocho-3.hatenablog.com