毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

世界一周に目的はあるのか?~『行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅』石田ゆうすけ氏(2006)

 行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅 (幻冬舎文庫)

石田氏は旅行作家、「平穏な人生?それが運命なら自分で変えてやる!」そう決意してこぎだした自転車世界一周の道。出会いと別れを繰り返しながら駆け抜けた七年半の旅。(単行2003年、文庫2006) 

なんで世界一周なの?

理由はいろいろある。だけど根本の部分はひどく頼りないのだ。ただ、やりたかった。せっかく生まれてきたのだから、世界中を全部この目で見てみたかった。でもそんなことをすると、あまりに単純すぎて、言っている本人でさえしらけてしまう。(25ページ)

アフリカの母

野菜を地面に積み上げて売っているオバサンがいた。着の身着のままのような恰好をしており、腕がやはりひどく細かった。彼女の前に野菜がなかったら、物乞いに見えたかもしれない。

ぼくはトマトを四つ手にとって、「ハウマッチ」と値段を聞いた。・・・僕は財布から5百メティカル札を4枚取り出して手渡した。すると、オバサンはその1枚を返してきた。まけてあげるよ、という顔で。ぼくはびっくりして、慌ててそのお礼を彼女の手に戻そうとした。彼女の暮らしぶりを想像すると、とても受け取れない。・・・それはただの親切ではなかった。特別だった。ぼくの薄汚れた格好と、荷物をつけた自転車を見たからに違いないのだ。ぼくは抱えていたトマトを袋に入れると、オバサンの細い手をとり、握りしめた。涙が次々にこぼれ出てきた。オバサンの目は、紛れもなく“母”の目だったのである。(215ページ)

旅の美談で終わらせてはいけない

旅に出れば、必ず現地の人のやさしさに触れる。それを“旅の美談”として歓迎し、きれいな思い出として自分の記憶のなかにしまう。それだけで満足しているんじゃないか。―僕は、1人で、どこか得意になってはいないだろうか?

いま、自分がここにいることを当たり前に思ってはいけない。すべての偶然と僥倖と、数々の大きな心に支えられて、自分はここにいるということを肝に銘じておかなければならない。・・・これまで与えられた慈しみを、瞳の色を、いつも心に留め、あるいはこれから自分がささくれだつような瞬間があれば、それらを振り返って立ち止まり、そしてこれから自分も返していくのだ、、、。(300ページ)

行かずに死ねるか!~世界9万5000㎞自転車ひとり旅

石田氏は1995年から2002年までの7年半、ひとりで自転車世界一周をした。本書はその時の旅の記録である。石田氏は“自転車世界一周は大冒険ではなく、旅行に過ぎない。世界一周をやっている人もたくさんいる。”という。石田氏はどうして世界一周を始めたのか?その動機は頼りないものである。更に長い旅行を続けていると“自分は何をしたいのだろう?ただ、移動しているだけ。自分はどこに向かっているのだろうか?”

人生に最初から明確な目的が存在しない様に、世界一周といえどもそこには明確な目的は見出しづらい。石田氏はエピローグで「これから、どういう形で、受け取る側から与えていく側にまわるのか。」(308ページ)と書く。人生という言葉を使うのは恥ずかしいが、人生に何らかの意味があるとすれば、それは与えられ与えること、なのであろう。

蛇足

世界は既に十分に豊かである

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