毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

中村うさぎ氏が臨死体験から得たもの~『死を語る』中村うさぎ氏×佐藤優

死を語る (PHP文庫)

 中村うさぎ氏は原因不明の病気で、13年に心肺停止や呼吸停止に度々陥った。その経験を踏まえ、死について真面目に語った対談である。(2017)

死とはなにか?

死んだ瞬間、私は真っ黒な「無」に吸い込まれて、そこで何者でもなくなった。私は「私」という意識さえ喪い、絶対的な無になったのだ。そしてそれを「救済」と感じた。私はようやく、この厄介な「私」という自意識から解放されたのである。・・・私は何者かになろうと必死で生きてきたけれど、本当になりたかったのは「何者でもない」存在だったんだ、と。(248ページ)

それでも生きる

・・・それまで全身に猛烈な痛みがあって「ひいひい」言っていたのに、一瞬で肉体的な苦痛から解放されたんです。あたしにとって、それはすごい救いだったので、「もう一回死んでもいいや」くらいに思っているんです。でも自分が死んじゃったら夫がどれだけ悲しむだろうと思うと、生きていないと申し訳ないなと思うんですよ。(131ページ)

家族とは何か?

家族とは、死にたいほどの絶望の中でも「死んではいけない」と囁きかける、ある意味重い約束なのだ。家族になった以上は、相手に対して「生きる責任」が発生する。そして人は、それを「生き甲斐」に転じることもできるのである。・・・我々は生きる意味を見つけるために家族を作るのかもしれない。(249ページ)

中村うさぎ、死を語る

中村うさぎ氏は結婚してからも自分は自分、と好き勝手をして生きていたと公言している。病を経験し後遺症で「私は夫の手を借りないとどこにも行けない身体である。人生は残酷であり、生きるということは本当に苦しいことだ。・・・あのまま死んでいれば、どんなに楽だっただろう」(250pページ)

それでも夫との関係性の中に人生の喜びを見出す。夫が自分が生きていることをどれだけ望んでいるか、それが転嫁し自分が夫のために生きることに歓びを見出せるのか、に気付く。

人生が残酷で、死が救済なら死は望むべきものになる。一方家族という最小の人間関係は生きることを期待する。人間は過酷な環境の中、家族を作り生き延びてきた。

蛇足

皆が死を望んだら、人間は生き延びていなかった。

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