人生の達人のメッセージ、「欲を持て」「急ぐな」~『帝国ホテル厨房物語―私の履歴書』村上信夫(2004)
60年余にわたり帝国ホテルの味を守り続けてきた村上信夫(1921-2005)、フランス料理界の重鎮の自伝。(2004)
18歳の村上氏、帝国ホテルで鍋を磨く
鍋の内側をきれいにしておくのは料理人の基本的な心得の一つだが、時間を惜しんで外側はあまり磨かれないから、料理の染みが頑固にこびりついている。私は、休憩時間に磨き始めた。ほとんどが「あか鍋」と呼ぶ、思い銅鍋だ。ブラシで一生懸命こすってもなかなか落ちないから、かなりの重労働になる。午後の休憩時間に休みたいのを我慢して、2か月ほどかけて、各部署にある200ぐらいの鍋をきれいにした。・・・「おまえには料理人の心がわかっている」と、ぼそっとほめてくれる親方もいた。必死の行動が先輩たちに伝わったのだ(58ページ)
20歳の三國氏、帝国ホテルで鍋を磨く
当時の僕は、帝国ホテルのレストラン「グリル」(今のラ・セゾン)の厨房で、来る日も来る日も鍋や皿を洗う見習い。パートタイマーで採用されて2年が過ぎようとしていたが、まだ正社員ですらなかった。・・・調理場に立ちたい、フランス料理を作りたいー満たされない気持ちをぶつけるように、僕は鍋磨きを始めた。帝国ホテルの厨房には、銅やアルミなどの鍋が文字通り無数にある。それを全部、ピカピカに磨き上げてやろうと思ったのだ。そんな僕を、総料理長だった村上さんは黙ってみてくれていたのだろう。(序文4ページ三國清三氏)
村上氏が三國氏を抜擢した理由
当時、三國君はまだ20歳の若者、しかも帝国ホテルでは鍋や皿を洗う見習いだったため、料理を作ったことがなかった。・・・彼は、鍋洗い一つとっても要領とセンスが良かった。・・・私の修行時代を思い返してもそうだが、目の色を変え、汗だくで奮闘する若者には、目をかけてくれる人が必ずいる。(208ページ)
帝国ホテル厨房物語
村上信夫は小学校卒業後、幾つかのレストランを渡り歩いて帝国ホテルに潜り込む。自ら帝国ホテルを希望しながらも夢叶わなかったものが、勤務先のレストランが帝国ホテルに買収されたのが切っ掛けである。認められる切っ掛けとなったのが鍋磨き。それから約30年を経て、村上は三國氏を海外研修に抜擢する。その切っ掛けもまた鍋磨き。
20歳前後の見習いコックにとって鍋磨きは成長したいと願う欲求を表現する数少ない手段だったのだ。村上は自分を抜擢したのと同様三國氏を抜擢した。「目の色を変え、汗だくで奮闘する」者は、目をかけてくれる人が必ずいる。それは若者でなくても同じであろう。
村上は「38年間、帰宅してから1日1時間、料理の勉強を欠かさない」(226ページ)という。重責を長年担いながらも、柔道、バイク、書道、と趣味も多かった。村上は若者に「欲を持て」「急ぐな」と忠告したという。人生の達人の生き様に触れることができた。
蛇足
メニュー開発の秘訣は同じ季節の1年後のメニューを考えること
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