毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

イスラム教のモスクはどうやって誕生したか?~『 増補 モスクが語るイスラム史: 建築と政治権力』羽田 正 氏(2016)

 増補 モスクが語るイスラム史: 建築と政治権力 (ちくま学芸文庫)

 羽田氏は歴史学の研究家、モスクは単なる「祈りの場」ではない。人々の社交の中心であり、教育施設、宿泊所、そして政治活動の舞台など、多様な役割を担ってきた。(2016)

 

最初のモスク

622年、メッカでの布教を断念したムハンマドは、教友たちとともにメディナに移住する。いわゆるヒジュラ(聖遷)である。この時、移住先のメディナには、新しくムハンマドの住む家が建てられた。この建物は、約51メートル四方の中庭を3.6メートルの高さの日乾し煉瓦製の壁が囲む方形だった。一つの家族が居住するには大きすぎるが、それはもともとこの建物が、ムハンマドのもとへ多くの人々がやって来ることを前提として建てられたからなのだろう。(49ページ)

モスクの機能

この最初のモスクは、ムハンマドの在世中、様々な機能を有していた。一つは、言うまでもなくムハンマドとその家「こだ族の居宅としての機能である。・・・つぎに、ムハンマドがたびたび実行した対メッカ軍事行動の時の作戦本部兼軍事基地としても用いられた。・・・もちろんこの建物は、イスラムの礼拝所としの機能も持っていた。・・・ムハンマドの説教は、純粋に宗教的なものばかりではなかった。・・・この建物は、行政のセンターであり、裁判所でもあった。このように、ムハンマドの住居は、誕生したばかりのムスリム共同体ウンマの政治、軍事、社会、宗教活動の中心に位置していた。(51ページ)

モスクのその後

大モスクが常にその建設者の権力の大きさを象徴するとともに、彼らの宗教的な敬虔さをも表象する役割を担って建てられたことを指摘せねばならない。この役割は、ウマイヤ朝中期の8世紀初めに、モスクが実用本位の建物から豪華絢爛な建築へんと変化を遂げて以来、17世紀に至るまで、不変だった。(250ページ)

モスクが語るイスラム

モスクは礼拝だけでなく、教育、憩い、政治活動、の様々な機能の為の場として誕生した。ムハンマドの死後100年後ウマイヤ朝の時代になると、政治権力の象徴という立場を背負うことになる。その記念碑的なモスクの一つがエルサレムの岩のドームである。「由緒あるエルサレムの神殿域で金色に輝くドームは、ウマイヤ朝カリフの力、権威、統治の正統性を人々に目に見える形ではっきりと示した一大モニュメント」(74ページ)だったのである。

f:id:kocho-3:20170206090043p:plain岩のドーム - Wikipedia

現代ヨーロッパで、イスラム移民の宗教問題が度々政治的な論点になる。ヨーロッパでは長い宗教戦争の果てに政教分離の原則を打ち立てた。一方のイスラム世界では宗教と政治、行政、市民の生活が混然としている。モスクの機能を考えると、イスラム社会ではヨーロッパの様に簡単には政教分離ができないことに気づかされる。

羽田氏はイスラム世界という概念が「ヨーロッパに対してマイナスの価値を持つ他」として成立した、と言う。つまりはヨーロッパ型の政教分離が唯一正しいとは言えない。だからといってイスラム世界が正しいと固執すれば原理主義的な発想となる。モスク建築はキリスト教世界とイスラム世界の社会構造が根本的に違うこと、を教えてくれる。

蛇足

モスクは今も旅人の宿泊施設

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コピーのどこがいけないのか?~『シミュレーショニズム』椹木 野衣氏(2001)

シミュレーショニズム (ちくま学芸文庫)

 椹木氏は美術評論家、恐れることはない、とにかく「盗め!」世界はそれを手当たり次第にサンプリングし、ずたずたにカットアップし、飽くことなくリミックスするために転がっている素材のようなものだ―(2001)

 

 戦後のアートが到達した地点

第二次世界大戦後の)アメリカの美術がそうだったと思いますが、絵画であるとか彫刻であるとか、こうした近代芸術の根幹をかたちづくる形式というものは、70年代の後半ぐらいまでにおおむね解体しつくされて、もはや絵を描いたり石を刻んだりということが素朴な形では不可能になったということが挙げられます。・・・全般に70年代はそういう芸術原理論的な探究の色彩が非常に強い時代だったと思います。そして、そうした先端部には、もうこれ以上芸術を個別の要素に還元することができないくらい徹底した、さまざまな実験的な動向が存在したわけですね。(11ページ)

シミュレーショニズム

シミレーショニズムにおいては、ありとあらゆる起源というものが否定されている、ということです。いまあるすべてのものが起源を遡れるとして、最終的にすべての事象がそこから生まれ、展開していくための、それ以上さかのぼることのできない起源というものを決定的に否定するわけです。(107ページ)

西欧芸術の原点は「無からの創造」

神学上の議論でも、この世界が作られたときに、それが無から創られたのか、それとも先行するなにか原物質のようなものがあって、それを「編集」することでこの世界は生まれたのかというのが、原始キリスト以来ずっとある難問でした。が、現在に至るまで、キリスト教の主流は「無からの創造」という考え方に沿ってかたちづくられています。そして、西欧の芸術というものは、原理的には「無からの創造」という考え方に沿ってかたちづくられています。(109ページ)

シミレーショニズムは「無からの創造」を否定する

神学的に言えばシミュレーショニズムはあきらかに・・・(無からの創造を否定する)起源を否定して混沌と編集を取るわけですから、そこには、キリスト教正統から見ると、どうしようもなく異端とされるようなイメージが数多く混入してくる。・・・世界はつねにあらゆる方向に同時かつ錯乱的に拡散しちえるというべきでしょう。あらゆるものがあらゆるものと関係を持ち、一瞬たりとも変化しないことはない、それだけが唯一の真実です。そしてその一つの現れが、現代のさまざまな複製メディアを通じて、70年代後半くらいから多様なかたちで見られるようになった‐それが(アートの)シミュレーショニズムであり(音楽の)ハウスミュージックなのです。(112ページ)

 

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MoMA | Cindy Sherman. Untitled Film Stills. 1977–80

シンディ・シャーマンによるセルフポートレート写真、ヒッチコックのような、映画のスチル写真を連想させる

シミュレーショニズム

美術史において至上の価値は“決定的に新しいこと”(51ページ)である。あるいはシミュレーショニズムにおいては“あった”というべきであろう。アートが新しいことを突き詰めていったとき、そこには未来は絶えず発展していくという進歩史観を肯定できない局面に至っていた。

我々は基本的には進歩史観に基づいて考えている。しかしシミュレーショニズムが象徴する様に、世界をサンプリングし編集する、歴史を行ったり来たりする、それによって混沌としているが芳醇な世界が成立しているのだ。我々は一直線に進歩史観だけの道を歩く必要はない。

蛇足

コピーして何が悪いか!

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あなたの仕事は楽しいですか?~『マッキンゼー流 最高の社風のつくり方』N・ドシ氏×L/マクレガー氏(2016)

マッキンゼー流 最高の社風のつくり方

社員が生き残りをかけて同僚と戦うか,それとも勝つために競合他社と戦うか,それを決めるのは「社風」だ !(2016)

 

社風の良い会社

(米国のスーパーマーケットチェーンである)ホールフーズ社の社風に特別な力があるのは周知の通りだ。同社は2015年にフォーチュン誌の「世界で最も称賛される企業」の小売り部門1位に選ばれ、同誌の「最も働きがいのある企業100社」には18年連続で選ばれている。・・・(創業者の一人は)「純粋に仕事がもたらす喜びのため、そして、心の中ではっきり感じるサービスの必要性によりよく応えるために」働きたい、と述べている。(15ページ)

社風を数値化する~TOMO

わたしたちは独自の手法で、ホールフーズの従業員が仕事を通じて6つの動機をどの程度感じているかを調べた。彼らは、同業他社の従業員よりはるかに多くの楽しさ、目的、可能性(3つの直接的動機を感じており、一方、感情的圧力、経済的圧力、惰性(3つの間接的動機)ははるかに少なかった。結果としてホールフーズの総合的動機(Total Motivation)は、ライバル3社の平均値より3倍も高かった。このTOMOの高さこそが、同社の従業員に、家に帰りながらもなお仕事について考えさせ、ホールフーズを業界のリーダーにしているものなのだ。(16ページ)

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アップルストアは、同業他社の平均より14点高い。ノードストロームは15点、スターバックスは18点、サウスウエスト航空はライバル社より14点高い。

適応的パフォーマンス

戦略的パフォーマンスとは計画を実行する能力で、ほとんどの組織はこちらを重視する。一方、適応的パフォーマンスは、計画外のことをこなす能力で、こちらも等しく重要である。適応的パフォーマンスは反対の性質のもので拮抗するが、そのバランスの取り方を知っているリーダーはかなり少ない。(9ページ)

社風は(組織が不安定な環境下におかれた時に、)社員が当初の計画からそれて、臨機応変に対応できるかどうかを決める。高業績を導く社風は創造性、問題解決、粘り強さ、シティズンシップを刺激し、適応的パフォーマンスを増やす。以上のことから本書では、高業績を導く社風を、「TOMOを高め、適応的パフォーマンスを最大化するシステム」と定義する。(87ページ)

最高の社風のつくり方

米国で高業績と社風の良さで知られるホールフーズを研究する過程から、総合的動機(TOMO)という数値化の手法が編み出される。社風という曖昧な表現からデジタル化する所がいかにもアメリカらしい。

TOMOを測定するのにはわずか6つの質問に答えることになる。端的にいえば「今の仕事は楽しいか?」という問いに集約されるであろう。人間は自ら楽しいと感じた時最高のパフォーマンスを発揮する。会社が一貫したスタンスで人事システム、業績管理システム、組織構造などが設計された時最高のパフォーマンスが発揮されることになる。良い社風とは高業績に結び付く。

蛇足

自分で(自分の)TOMOを測定してみる

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”生きているだけで丸儲け by さんま”を実践するには、、、~『 まだ「会社」にいるの? 』山口揚平氏(2013)

 まだ「会社」にいるの? ~「独立前夜」にしておきたいこと~

 山口氏は金融出身のコンサルタント、「会社を辞めたい、でも辞める勇気がない」そんなジレンマを抱える人にの背中をそっと押したくて、 僕はこの本を書きはじめました。(2013)

能力を高めるより期待値を下げる

僕が、人生でもっとも大事にしているのは「余裕率」という考え方です。・・・(表のなかで)いつも期待や不安・欲望が、自分の持つキャパシティの範囲内に収まっている状態が精神的に健康と言えます。そして、より重要なことは、右下にいけばいくほど、つまり余裕率が上がれば上がるほど、より直観性が増し、クリエイティブで純度の高い行動ができるようになります。

多くの人は、縦軸を軽視し、横軸(特に能力)を高めようとします。ですが、僕は、縦軸(特に期待値)を下げることを勧めます。スキルを高めるごとに、自分への期待を下げていくのです。「まあ、これでいいや」と納得する力、それこそが余裕率を高めるのです。(70ページ)

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期待値を下げるには

僕たちは普段、新陳代謝で身体からアカが出るように、普通に生活しているだけで、抑えようとしても心の奥底からジワジワと自分への期待や欲望を生み出しています。人間なら仕方のないことでしょう。・・・そして膨らんだこれらの感情に合わせるように、実利的な能力やお金を実現社会の中に求めてゆくのです。・・・ですから、意識的に自分や他人への期待値を下げる習慣を生活に取り込むことが必要になります。この高まった期待を定期的に下げて、解毒(デトックス)する必要があるのです。(72ページ)

1人で生き抜く知恵~生きているだけで丸儲け

山口氏は自分も20代の頃は能力至上主義で生活していたそうである。期待値を下げた方が「純度の高いモチベーションが生まれることそして精神的に幸せに近くなる」(70ページ)ことに気づかれた。

私自身もそうであった、というか今も能力至上主義であると言わざるを得ない。今までは幸いなことに一時的に能力が落ちても回復、わずかずつでも能力は向上してきたと感じていた。しかし長い目で見ればこれは続けられないことも確か、である。

本書で能力より期待値の管理が重要であることに気づかされる。期待値を下げる、とは何でもいい、ということではない。また能力を上げる努力をしないこと、でもない。

大切なのは自分への期待や欲望を一人歩きさせないこと、である。山口氏は、人は欲望や期待が自然に膨らんでいくことに無自覚であると指摘する。我々は自ら欲望や期待を整理しなければいけない。欲望も期待も自分で作り出したものなのだから。

蛇足

能力を上げて、期待値を下げる、完璧

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無頼とはルーティーンに埋没しない人のこと~『 ヤクザと日本―近代の無頼』宮崎学氏(2008)

 ヤクザと日本―近代の無頼 (ちくま新書)

宮崎氏はノンフィクション作家、ヤクザとは、法の支配がおよばない炭鉱・港湾などの最底辺社会に生きた者たちが、生きんがために集まり発展したのが近代ヤクザの始まりといえる。(2008)

 

 

1884年賭博犯処分規則が布告~徳川以来の旧来型ヤクザの衰退

この布告は、刑法に基づく賭博犯の摘発としてではなく行政処分により警察が任意に処罰できるようにした点、また賭博行為だけでなく、博徒として仲間を集めた者、それに応じて仲間になった者も処罰するとした点で、刑法を越えていた。・・・この布告によって農民騒瀀・民権運動激化事件に結びつく恐れのある博徒集団を選別的に取り締まったのである。・・・ヤクザのもっていた戦闘力、実戦経験、動員力、団結力、それらが今後は反権力として働くことを恐れたのだ。特に博徒集団は、民間ではもっとも多量の武器を所蔵し、組織的な戦闘態勢がとれる集団だったのである。(170ページ)

資本主義と共に、近代ヤクザが誕生

近代ヤクザと私が読んでいるものは、明治になってからの社会の大きな変動のなかで、沖仲司、船頭、鉱夫、大工、人夫などと呼ばれた下層労働者が、生きんがために寄り集まって自然発生的につくった「組」が発展したものであり、もともと労働者の労働組織・生活集団が、地域的な社会組織として定着したものである。(231ページ)

近代ヤクザが生まれたのは、まず北九州、阪神、京浜といった新興産業地域においてであり、それが成長しつつ各地に波及していったのは、1886年(明治19年)から1910年(明治43年)まで展開されたとする日本の産業革命を通じてであった。・・・それは、一方で近代的な工場労働者を生み出すとともに、必要に応じて稼働される厖大な下請、臨時の下層労働者を必要とした。・・・近代ヤクザがその精華であるような組織が労働力を統括していることは、日本の資本主義にとってぜひ必要とされることだったのだ。こうした関係は、戦後の高度成長期に、資本、具体的には大企業の組織運営が、企業内において現場の労働者をすべて直接掌握して、管理・指揮できるような生産管理体制が確立され、さらには社外の下請企業の生産管理、労働管理まで親会社の大企業が掌握できるようになるまで続いたのである。(233ページ)

ヤクザと日本

明治以降のヤクザは下層労働者を束ねてきた。下層労働者の生活においては権利と義務、いわゆる法の支配が行き届かず、ヤクザが「義理・人情関係で動く人々を支配秩序に導く」(175ページ)役割をになってきたという。

浅田次郎の小説「天切り松」では失われつつある明治の博徒がモチーフである。本書でその背景に明治17年の博徒の一斉取締という背景があったことを知る。

翻って戦後の日本において近代ヤクザが下層労働者の組織化を図ることで社会的にも地域的にも一定の役割を果たしていた。そしてその必要性の無くなった1992年、暴力団対策法が施行される。資本主義社会においてはその最小単位である家庭でさえ崩壊しかねない今日、社会的あるいは地域的な組織としてのヤクザはもはや存在しえないのである。

宮崎氏は相互扶助の核となる新しい「組織」的団結の必要性を説き、「超近代の無頼よ、出でよ」(264ページ)と記す。人は人との関係性の中においてしか喜びを見出せない。だとしたら義理・人情を感じる場を提供する無頼、日常に埋没しない精神的リーダーが必要である。無頼とは、“定職を持たず無法な行いをすること、人のこと“である。無法な行いとは法を犯すことではなく、他人がやらない非常識なことをやること、である。誰かが精神的リーダーを務める必要があるのである。

蛇足

“定職を持たぬ“とは“ルーティーンに埋没しない“ということ

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ストップウォッチを持って仕事をしたことがありますか?~『 生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの』伊賀泰代氏(2016)

 生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

伊賀氏はキャリア形成コンサルタント、日本企業は生産現場での高い生産性を誇ったが、ホワイトカラーの生産性が圧倒的に低く世界から取り残された原因となっている。(2016)

生産性とは生産現場だけのものではない

生産性は「成果物」と、その成果物を獲得するために「投入された資源量」の比率として計算されます。「アウトプット」÷「インプット」といってもよいでしょう。(30ページ)

日本で「生産性の向上といえばコスト削減」とおもわれがちなのは商品企画やマーケティングに影響力を持たない「工場」のみでその言葉が使われ、発展してきたからでしょう。(33ページ)

問題は生産現場以外

今の日本の問題は、ビジネスイノベーションの少なさです。具体的には、経営管理手法や組織運営方法などマネジメント分野のおけるイノベーションブランディングやプライシングなどを含めたマーケティング分野でのイノベーション、企画や人材育成など個人技に頼りがちな分野のイノベーションなどにおいて、後れを取っていることだと思われます。(64ページ)

生産現場で行われていること

製造現場ではすべての人の仕事振りが公開されています。個々人の間にパーテーションがあったりはしないし、時には自分の後ろに(許可もとらず)誰かが立っており、作業時間をストップウォッチで計っていたりします。そして「この作業手順はこう変えてはどうか」「部品の置き方をこう変えてはどうか」といった話し合いが頻繁に行われ、実際に試されています。そういう環境から、世界で最も生産性の高い製造現場が生まれているのです。(153ページ)

ホワイトカラーの現場でも同じ

マッキンゼーで新人育成を担当していた頃、パフォーマンスが上がらないと悩む新人コンサルタントによく与えていたアドバイスが、「キッチンタイマーを買って作業時間を可視化するように」というものでした。・・・何をどう変えればどれほどスピードが変わるのか、ひとつひとつ効果を測定することで、さらなる改善が可能になるからです。タイマーを使わずに生産性を上げようとするのは、体重計に載らずにダイエットをするようなもので、効果が測定できなければ手法の正しさも確認できません。・・・マッキンゼーにおいて成長する、昇格するとは、仕事の生産性を上げることに他なりません。(137ページ)

生産性

日本企業は戦後生産現場の高い生産性で世界を席巻した。日本の人口増、米国市場へのアクセスによって市場が一気に拡大した。そこではマーケティングブランディングも生産現場に比べ重要性は薄かった。だからこそホワイトカラーでは生産性ということが重視されてこなかったのであろう。更に言えば生産性を追求することは、新規性や多様性などを阻害する、といった言い訳が横行してきた。

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伊賀氏はグローバルカンパニーのマーケティングへの取組例にアップルストアを引用する。アップルストアの特徴はその洗練されたデザインで一気にブランディングしたことで有名である。実は最近アップルストアの名称からストアの文字を消しているという。これは「物理的な拠点がもはや物を売る場所=ストアでなくなる」ことを先取りしたからだと分析する。

いい物を作れば世界に売れる、仕事には私だけのこだわりが大切、ホワイトカラーの仕事は標準化できない、これではグローバルに通用しないのは間違いない。競合はマーケティング、組織運営、ファイナンス、あらゆる分野で生産性を上げる=アウトプットを増やそうとしている。我々はもっとアウトプットの質・量の向上に目を配るべきである。

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人はなぜコレクターになるのか?~『 現代美術コレクター』高橋龍太郎氏(2016)

 現代美術コレクター (講談社現代新書)

 高橋氏は精神科医、1997年から現代美術の収集を始め、全国でコレクション展を毎年開催するほどの重要なコレクションを築き上げる。(2016)

なぜ人は美を求めるのか?

人類は類的存在だと言われている。これは単独でしか生きていけないことを指し示している。類的存在としてお互いの理解を深めるためにミラーニューロンが発達したと考えるのは自然だろう。多分私たちが持っている美という概念も、同じように類似の存在としての私たちの祖先が、ミラーニューロンによって経験値を集積させてきた結果なのではないか。

しかし人間の大脳は一方で、奇形的にまで発達を遂げた結果、単純な経験で積み重ねてきた一般的な均衡美だけでは、満足できなくなってしまう。・・・しかし、異なる考えを持ち込めば、新しい美とともに、それを獲得した個体が生き残ることになる。(48ページ)

アートを買うということ

美女を見かけた時、声をかけない人と、声をかける人はほんの小さな差に過ぎない。アートを買うのは、それだけの差。声をかけるかかけないかの差に過ぎない。

だが、声をかけた後、どうなっていくのか想像してほしい。・・・購入して、いよいよ家にアートがやってきた時のことを考えてみよう。ちょうど美女とデートができた気分と同じだ。やってきたアートは、美術館のようにガラスの箱に入っておらず、そのままの姿で輝いている。そして、他の人の視線を意識することなく、自分だけのものとなる期待感が募る。・・・美術館で見る絵は、ガラスの標本箱の中にいる蝶にすぎない。しかし、目の前にある自分が手に入れたアートはまるで、生きた蝶のように、まばゆい。(109ページ)

アートをコレクションするということ

一度アートをコレクションすれば、その美は維持されるばかりか、年とともにその美しさや素晴らしさは増していく。自分が老いていくことが悲しくなるくらい、その美しさは増していく。永遠の美しさを手元に置いておくことができる。(173ページ)

f:id:kocho-3:20170125090407p:plainhttp://www.takahashi-collection.com/

 

現代美術コレクター

進化の結果肥大化した脳は常に過剰と新しさを求める。その本能に従った結果、高橋氏は日本の現代アートを2500点以上コレクションすることになる。

現代美術を買う、ということは万人向けの行動ではない。私は「心を全裸状態にして欲しいという衝動に身を委ねる」という行動を肯定したい。対象は何であれそれが人間の性質なのだと気づく。

高橋氏は本書の目的を「私の願いは、皆さまに一日でも早く、このトップクラスのアートを手に入れる魅力を知っていただき、その快楽に身を委ねてもらいたいということに尽きる。(6ページ)と記す。個人の欲望を文章にした高橋氏の勇気に感謝したい。

蛇足

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