毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

感情を抑える必要はない、その表現方法が重要である~『デカルトの誤り情動、理性、人間の脳』アントニオ・R・ダマシオ氏 (2010)

デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳 (ちくま学芸文庫)

ダマシオ氏は神経学者、著者は、日常生活の折々の場面で求められる合理的な意思決定には、そのときの身体状態と不可分に結びついている情動と感情の作用が不可欠であることを明らかにした。(2010)

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前頭葉領域を脳腫瘍によって嫡出された人は正常な知能を有しながら、情動と感情の動きに障害が出ている実例を説明する。この患者は知的な判断能力を有しながら、意思決定ができなくなった。意志決定には情動と感情が不可欠だと言う。

情動とは身体状態の一連の変化

 

情動は、単純なものであれ複雑なものであれ〈心の評価的なプロセス〉と〈そのプロセスに対する傾性的表象の反応〉との組み合わせだ。その際、傾性的表象の反応の反応はそのほとんどが〈純身体に向かい〉情動的身体状態をもたらす(以下略)(221ページ)

感情とはある特定の風景(つまり身体の)直接的知覚

 

 

間断なく更新されていくわれわれの身体の構造と状態をじかに見渡せる窓をとおして我々が見るもの、それが私の考える感情の本質である。この窓からの眺めを一つの風景としてイメージするなら、身体の「構造」は、ある空間における物体(の状態であるのに対して、身体の「状態」はその空間におけるそれらの物体の光と影、動きと音のようなものだ。(25ページ)

 

第一の感情

一般的な情動は、喜び、悲しみ、恐れ、怒り、嫌悪であり、(中略)身体状態反応の特徴と一致している。

第二の感情

より微妙な認知的状態がより微妙な種類の身体的状態と結びついているとき、経験により呼び起こされる。すなわち、ある複雑な認知的内容と、前もって構成されている身体状態の特徴が少し変化したものが結びつくと、我々は、後悔、羞恥、シャーデンフロイテ(他人の不幸を喜ぶ気持ち)、復讐心等を経験するようになる。(237ページ)

情動と感情は必要なものか?

 

情動は危険を察知し、そこから避難するなど「食欲や性欲など本能的な欲求」を充足する事に役立っている。つまりは身体状態の変化によって発生し、身体を保全する為の重要な役割を担っている。そしてそれが認識された時「第一の感情」が生じるのであろう。そして、更に第一の感情と何らかの経験が結びつく時第二の感情が生まれる。第二の感情はより人間らしい、あるいは社会的な感情と言えるのだろう。そしてこの感情は意思決定に必要不可欠なものなのである。感情を司る前頭葉に障害を持った人は「そうはいっても、やっぱり私は何をすべきかわかっていないんだよ!」(100ページ)と言う。私は感情とは経験によって形成された評価基準だと思った。感情という評価基準が無いと、選択肢が皆同じになってしまう。

 

感情の表現方法が重要

 

 

感情は必要なものである。一方で感情の発露は、周囲に波紋を巻き起こす。従って考えるべきは感情を抑える事ではなく、沸き上がる感情を認知し、それを制御する事である。我々は効果的な感情の表現方法を体得する必要がある。

蛇足

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