いつ、誰が、どうして地動説を証明するデータ収集に成功したか~200年間のミッション・インポッシブル
年周視差(Wiki)
地球の公転運動による視差のために天体の天球上の位置が公転周期と同じ周期で変化して見える現象のこと。
西洋天文学史 (サイエンス・パレット) ホスキン氏は英の科学史の研究家。
時代とともに望遠鏡の性能が向上して、恒星の天球上における二つの座標(赤経、赤緯)は益々精密に測定されるようになりましたが、第三の座標、距離に関する情報は非常に遠いというだけで、詳しくはわかりませんでした。最も近い星々がいちばん明るいという推定にも疑問がもたれ始めました。というのは、固有運動のデータが増えるにつれて、固有運動の大きな星が常に明るいとは限らなかったからです。(122ページ)
その典型的な例が、19世紀の初めにピアジが、次いでベッセルがみつけた、はくちょう座61番という星です。この星は年間5秒以上という大きな固有運動を示していました。明るさは中程度ですが、61番目星は本当の太陽に近かったのでしょうか?(123ページ)
フランフォッファーの望遠鏡
その頃、ケーニヒスベルグのベッセルも、フランフォッファーの望遠鏡で年週視差の測定に挑もうとしていました。この屈折望遠鏡は口径がわずか16㎝でした。フランフォッファーは、十分性能のよいレンズを磨くことだけに満足せず、思い切って丸いレンズを半分に切断し、これら二つの半円を共通の直径に沿ってお互いに少しずつ動かせる、特殊な望遠鏡を製作しました。各半円のレンズは、焦点面い明るさが半分の二つの星の像を結びます。この望遠鏡を二重性に向けると、半円レンズのために、一対の二重性の像が見える事になります。このとき、二重星の像が重なるように片方の半円レンズを動かして、レンズの移動距離を読み取ると、それがこの二重星の極めて精密な角距離に相当するのでした。
はくちょう座61番 "空飛ぶ星" ~地球から見ると150年で月の直径分の距離を移動
ベッセルは観測候補を十分吟味し、(恒星自らの動き=固有運動の大きさで)"空飛ぶ星"の異名を持つ、はくちょう座61番を測定対象に選びました。ベッセルはこの星を、前例が無い程慎重なやり方で観測しました。彼はこの細を毎晩16回、特に空の状態が安定している晩はそれ以上の回数を測定し、それを1年以上にわたって続けました。そして約1/3秒という年周格差を発表してのです。(124ページ)
この発表は1838年、ケプラーの地動説から200年が経過していた。「いまや恒星の天文学は距離という第三の次元を持つ」ようになった。
年周視差約1/3秒の持つ意味~687メートル先の1㎜の移動に相当
年周視差約1/3秒をエクセルで計算してみる。
687メートル先の1㎜の移動を関知する、極めて微小な変化。大気の揺らぎなどにより地球上からの精密な年周視差の値の測定は難しい事から、現在では宇宙空間の人工衛星によって行われている。
ベッセルが200年の課題を解決できた理由
①フランフォッファーの望遠鏡×②はくちょう座61番星×③1年間にわたる精密な測定
用途に適した最新鋭の望遠鏡を使ったから、二重星でありかつ固有運動の大きいはくちょう座61番星を選んだから、そして1年間にわたる精密な測定、この3つが成功の要因。1836年、人間は100兆㎞という距離を認識し、宇宙を3次元にした。
冒頭の答、はくちょう座61番は一番近い星ではない。
はくちょう座61番星は10.8光年(現在のより精密なデータでは11.4光年)ケンタウウルス座アルファ星は4.2光年。
蛇足
100兆㎞を認識したのは人間の想像力とベッセルの意志。