日本に本当の半導体メーカーは存在したか?~『電子立国は、なぜ凋落したか』西村 吉雄氏(2014)
西村氏は長年に渡り電子産業の記者・アナリストとして活動、かつて世界を席巻し、自動車と並ぶ外貨の稼ぎ頭だった日本の電子産業。 今や、それは夢まぼろしである。そうなってしまった本当の原因は何か。(2014)
携帯電話の場合
日本では「PDC」という(携帯電話の第二世代の)独自規格が主流となる。これが日本のモバイル環境を、一種の鎖国状態にする。・・・しかし鎖国のもとでの繁栄によって、日本のモバイル機器産業の存在感は、国際的には小さくなった。その後のスマートフォン市場では、日本企業の影は、いっそう薄い。(67ページ)
パソコンの場合
ウィンドウズの登場で(NECのパソコン)「98」シリーズとDOS/Vには、エンドユーザーから見たときの違いは、日本語処理についても、ほとんどなくなる。・・・日本市場が一種の「鎖国」状態にあったとき、日本のパソコン事業は栄えた。開国し、市場がグローバル化したら、精彩を失う。・・・携帯電話機の場合と同様である。(90ページ)
日本には半導体メーカーは存在しなかった
日本には、わずかの例外を除くと、本当の意味での半導体メーカーは近年まで存在しなかった。半導体事業で上げた収益に基づいて設備投資し、それを半導体事業の次の収益に結びつける。こういう形で、自己責任で半導体事業を展開してきた企業は、日本にはまれだった。
総合電機メーカーが、そのなかの一事業として半導体製品を製造販売する。その半導体製品は、社内でも使われるし、外販もする。・・・総合電機メーカー内の半導体事業、そのs愛大の問題は、設備投資の時期と規模を、半導体ビジネスの観点からだけでは決められないことである。・・・問題の本質は企業の内部統治の問題に帰するだろう。それぞれの企業が半導体をどれだけ重視しているか、そして半導体事業部門が投資決定時期において、どれだけの自由を持っているか。(148ページ)
グローバルな電子産業の変化
世界の電子産業は構造転換する。転換の実態は分業構造の革新である。すなわちパソコンにおける水平分業、半導体や電子機器における設計と製造の分業がグローバルに進展した。(213ページ)
電子立国は、なぜ凋落したのか?
本書によれば日本がTVやVTRを輸出していたのは1985年までである。それ以降は米国の日本政策の変更によってシェアを失う。液晶テレビもプラズマテレビもみな国内市場向けだった。TVだけでない、携帯電話・スマホ、PC、すべてが鎖国状態では勝てるがグローバルには勝てない、ということが繰り返されてきた。
1985年以降世界の趨勢に背を向け、日本の電子産業は垂直統合に固執してきた。それは垂直統合という美辞麗句に惑わされ、国内市場に閉じこもる言い訳ではなかったのか?
電子立国という幻想は1985年に既に終わっていたのである。
蛇足
グローバルな分業の方が国内に比べ競争がしんどい。
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