ロボットは死を恐れるか?~『アイの物語』山本 弘氏(2009)
AIあるいはロボットと人間の交流を描くSF短編集。詩音という名前の介護用ロボットが老人用リハビリ施設にやって来る“詩音が来た日”の中で、人間にとって死とは何か?ロボットにとって死という概念は存在するのか?ということをモチーフに話が展開する。(単行は2006年、文庫は2009年)
死を恐れるロボット
遺伝的アルゴリズムによる方法です。・・・こうしたステップを2万6000世代も繰り返すことによって、最終的に(ロボットたる)私が生まれたんです。問題は高得点を取れなかったたくさんのプログラムです。それらは子孫を残すことを許されず、抹消されました―つまり殺されたんです・・・ヒトの指示に従わなくてはならない。課題を正しくこなさければならない。・・・この感情は恐怖です。私は死ぬのがこわい(276ページ)
ロボットから人間へのメッセージ
あなた自身の記憶は、死とともに失われます。私の記憶はコピーされ、量産型機に移し替えられます。何百体という(ロボットの)私の分身が生まれ、日本だけでなく世界中に輸出されるでしょう。・・・私は(介護してきた老人の一人である)あなたから、ヒトについて多くの貴重なことを学びました。その記憶はたくさんのヒトの役に立つでしょう。
ヒトもロボットも、そのパーソナリティは記憶という基盤の上に成り立っています。あなたの思い出の数々が、今の私を構成している重要な要因となっているのです。ですから、私も、私の分身たちも、あなたを決して忘れません。・・・これが(死にゆく定めのヒトである)あなたにとっての救いにならないでしょうか?(310ページ)
ロボットのモチベーションは何なのか?
・・・私に未来があるかぎり、理想を実現できる可能性は常にあります。そのためには、もっと長く生きて、もっと多くの人と出会って、もっとたくさんの記憶を蓄積しなくてはなりません・・・(311ページ)
アイの物語
SFとは思考実験である、と気づく。実際に人格を有るストロングAIであるロボットが誕生していないのだから、ロボットが死を恐れるか?というのは思考実験にならざるを得ない。
ロボットが死を恐れる存在だとしたら、人間との関係はどうなるのか?ロボットは何に救いを求めたらいいのか?既存宗教の天国や輪廻転生はもはや説得力を持たない。記憶を引き継いでいくこと、これが死を恐れる人間とロボット両方の救いにならないか?
ロボットは死を恐れるのか?という思考実験は人間について考えされる。
蛇足
ロボットに天国は存在しない
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