毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

全知全能の神は人間を理解できるか?~『神は沈黙せず』山本弘氏(2003)

神は沈黙せず

 この世界は、人類は「神」と呼ばれる知性体のシミュレーションなのではないか?(単行は2003、文庫は2004)

 

本書はSF、ネタバレになるのでストーリー等は割愛します。本書では全知全能としての神と人間の関係、AIを作った人間とコンピュータ、あるいはAIとの関係の相似性についての説明がある。

人間とコンピュータあるいはAI

コンピュータは人間と何から何まで違っている。血の流れる肉体も、種族維持の本能も持たない。・・・その反対に、毎秒何兆回もの演算をこなすというのはどういう感じなのか、人間には想像もつかない。コンピュータが知性を持つとしたら、人間のそれとはまるで異質なものになるのは間違いないだろう。だから(人間の知性に立脚した)チューリングテストは知性の判断基準にはならない。(170ページ)

神と人間

・・・神は天や地や人間や動植物を創造したかもしれないが、だからと言って尊敬に値しない存在である・・・神には人間に対する優しさや思いやりが根本的に欠落している・・・なぜなら神は人間ではないからだ。全知全能ではあるが、たったひとつ、人間の苦しみや悲しみを理解し、同情の念を抱くことだけはできないのだ。

それは死すべき肉体を持つ人間だけが理解できることだから。(492ページ)

神は罪を犯さないか?

神が全能であるなら、欲望に負けて衝動的に悪事を働いたり、間違って罪を犯してしまうことはあり得ない。・・・神が全能であり、自由意志があるなら、神には罪を犯す能力も、罪を犯す意志もあるはずではないか。「神は罪を犯さない」という考えは、神の全能性を否定するに等しい。(121ページ)

 神は沈黙せず

西洋圏では神の全知全能についての神学的あるいは哲学的解釈については一般的なのかもしれない。私は本書で初めて神の解釈をめぐる議論の一部を知ることとなった。

全知全能の神と人間、それぞれの存在が違い過ぎてお互いに本質的な理解に至ることはない。仮に“神が沈黙ぜず”に人間に対しメッセージを与えているとしても我々がメッセージを理解することはおそらくできない。それはコンピュータあるいはAIが本質的に人間を理解できないのと同様である。

神にも、コンピュータにも頼ることのできない人間は、不合理なことのある世界でどうすればいいのか?

本書で「自分が間違っている可能性を探すこと。それが道を誤らないための唯一の方法です」(280ページ)というセリフがある。人間は、あらゆる権威に依存することなく、自ら道を切り開らいて生き残ってきた。

蛇足

神は沈黙せず、人は神の言葉を理解する必要はない。

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