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2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

産業革命以降のビジネスモデルは例外だった?~『 世界史を創ったビジネスモデル』野口 悠紀雄氏

 世界史を創ったビジネスモデル (新潮選書)

 歴史上の国家を“企業”、その活動を“ビジネス”として理解すれば、新たな視点が得られる。(2017)

ローマ帝国の基本的な構造

ローマは、強力な軍隊を持ち、外敵の侵入を撃退しただけでなく、領土を広げてきた。それはローマが、兵士に高い給与を与え、十分な訓練を施し、退役後の生活を保障するための優れた制度を持っていたからだ。・・・(ローマの基本的な構造は)第一に、属州に大幅な自治権を与える。ローマは中央集権国家ではなく、属州都市の集合体だった。このため、ローマの官僚組織は最小限にとどめられた。第二に経済活動に国が介入せず、自由な経済活動が行われた。第三に財政的な負担が重くなく、民間の経済活動を阻害しなかった。(138ページ)

ローマ帝国の基本原理~異質性の尊重

ローマの国家運営を貫いてきた重要な原則がある。それは、通常「ローマの寛容性」という言葉で表現される。これは、「軍事的に制服した地域を徹底的には破壊しない」という意味に理解されることが多い。・・・(それには)もっと積極的な側面がある・・・それは異質なものを受け入れ、自らの中に取り入れて、国を強くすることだ。実際、五賢帝時代以降、属州出身者がローマ帝国の皇帝になることが多くなった。ローマ帝国の中に取り込まれた属州は、明らかに人材の供給源になったのだ。(139ページ)

産業革命以降のビジネスモデルは例外

ローマ帝国や大航海のモデルが市場化、多様性、分散化を強調するのに対して、産業革命以後のビジネスモデルにおいては、組織化、同質化、集中化が重要な要素となっているのだ。こうなるのは、工業制工業という産業の特質によるものである。新しい技術が発明された後は、市場取引を拡大するよりは、取引を組織内に取り込んで組織を巨大化することが生産性向上のための主要な手段になる。多様な人材よりは、専門的訓練を経た同質的な労働力が協業することが重要となった。(315ページ)

本流のビジネスモデルに回帰

ビジネスモデルの歴史は、産業革命以降、本来あるべき潮流からは、大きくそれてしまったと考えることができるのである。しかし、通信コストが低下すると、情報を得るためのコストが低下し、市場の機能が向上する。この結果、巨大組織の力が弱まり、水平分業化が進む。・・・いったん本流からはずれた(ローマ帝国や大航海の)ビジネスモデルは、いま、本流に戻りつつあるのだ。それは、産業革命以前の経済体制への回帰である。(316ページ)

世界史を創ったビジネスモデル

野口氏は「日本の高度成長期は、巨大企業の成熟期だった。・・・(日本企業は)ひたすら成長し、大きくなることを目指した」(380ページ)という。我々は産業革命以降のビジネスモデルが本流だと思い込んでいる。考えてみれば産業革命からたかだか250年、一方のローマ帝国は短くみて500年、長くみれば1500年保った。

工業化が先進国の独占できるビジネスモデルではなくなった今、日本がいまだに工業化のビジネスモデルにのみ固執するのには限界があろう。ローマ帝国の特徴である異質性の尊重とは言葉で言うは易く、実行するには軋轢を覚悟しなければならない。ローマ帝国の歴史の教訓は、日本人を含む人類にとっての貴重な記録である。

蛇足

帝国とは属州を持つこと

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