毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

現代の"大実業家"のビジネスモデルはルネッサンスにあった~『メディチ家』森田 義之 氏 1999年

メディチ家 (講談社現代新書)

森田氏は西洋美術史の研究家、メディチ家は 15~16世紀にフィレンツェ、さらにトスカーナ公国の実権を握り、武力ではなく文化の力で欧州を圧倒した。1999年刊

メディチ家

 

メディチ」(Medici)の家名そのものが示すように、彼らの祖先は医師(単数medico/複数medici)ないし薬種商であり、赤い球は丸薬、あるいは吸い玉(血を吸いだすために用いる丸いガラス玉)を表しているという説である。(本書そでより)

f:id:kocho-3:20150210083322p:plainメディチ家 - Wikipedia

メディチ家ルネッサンス

 

 

メディチ家ルネサンス時代の大富豪であり、その名が芸術パトロンの代名詞として人口に膾炙(かいしゃ)していることは知っているであろう。・・・メディチ家の歴史が西欧の美術史・文明史の「黄金時代」であるルネサンスという輝かしい時代、そしてそのルネサンスを生み出したフィレンツェという輝かしい都市の歴史とわかちがたく結びついている・・・メディチ家はもともと封建領主の出身ではなく、商人=銀行家の出身であり、都市の市民から君主となり、また「理想的」な大パトロンとなってフィレンツェの芸術文化の発展に絶大な寄与をなしたことである。(4ページ)

 

フィレンツェという都市

 

 フィレンツェの商人たちは、イタリア諸都市のみならず遠くフランドルやイギリス、シャンパーニュの定期市などに進出して、盛んな交易活動を展開した。特に、彼らは羊毛の原毛や生地をこれらの地で買付け、それをフィレンツェで染色・加工して高級品としてヨーロッパと各地に再輸出することで大きな利益をあげた。さらに、この利益を各地の聖俗の権力者に高利率で貸し付けて、巨大な利益をあげるようになった。(19ページ) 

メディチ家というビジネスモデル

 

メディチ家と深く関わった芸術家には、ボッティチェリ、ダビンチ、ミケランジェロラファエロなどの名前が上がる。そしてフィレンツェ出身のガリレオの支援者はメディチ家フィレンツェという都市の繁栄と、メディチ家が果たした役割を現代に伝えている。著者によればメディチ家のモデルは特に米国において「現代のメディチになることが大実業家の夢」とされているという。

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ミケランジェロ1512、システィーナ礼拝堂

メディチ家の意志

 1743年2月18日、メディチ家最後の人間アンナ・マリア・ルイーザの遺言は「何ひとつとして譲渡されたり、首都および大公国の領地から持ち出してはならない」(340ページ)であったという。アンナ・マリア・ルイーザは300年の時間軸の中で自分を見つめていた。彼女の意志があればこそ、メディチ家の財宝が散逸しなかった。メディチ家が残したものは長い時間軸に基づくビジネスモデルそのもの、だったと思い至る。

蛇足

メディチ家の医師・薬種商としての記録は見つかっていない。無名のスタート時点があったという事。

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