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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

電卓とは何だったのか?~『ロケット・ササキ:ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正』大西康之氏(2016)

コンピュータ ビジネス

ロケット・ササキ:ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正

大西氏はジャーナリスト、佐々木氏はシャープの技術トップとして半導体の開発競争を仕掛け続け、 日本を世界のエレクトロニクス産業の先頭へ導く。(2016)

電卓登場

激しい開発競争の中で、電卓は劇的に小さく、安くなっていく。それを可能にしたのがLSIだ。軍需産業でしか使われていなかったLSIを「電卓に使う」と決めたのが佐々木である。・・・パソコンも携帯電話もゲーム機のなかった時代。電卓は民生分野における半導体の最大市場であった。・・・激しい価格戦争の間に、頭脳であるLSIは爆発的な進化を遂げた。これが後のパソコン、携帯電話、スマートフォンへとつながっていく。

電卓が生んだイノベーションLSIだけではない

電卓を薄く軽くするために、蛍光管より消費電力の少ない液晶表示装置が生み出された。これがやがて液晶テレビスマートフォンに進化していく。薄く、軽くを追求するための民生品で初めて太陽電池を使ったのも電卓である。・・・半導体産業を育てた電卓はハイテク技術の孵化器であり、電卓s年層は様々なデバイスを産み落とすことで、現在のインターネット社会の礎を築いた。(7ページ)

電卓用半導体を求めてロックウェル社に依頼

アメリカ政府は宇宙開発でソ連を上回るために、常に最高性能の半導体を求めた。・・・当時、アメリカの半導体メーカーが作っていたMOS半導体)の歩留まりは2%程度。100個作ってよくやく使えるチップが2個という惨状だったが、軍が求める性能さえ出ていれば、98個を捨ててもちゃんと利益は出ていたから、経営としては問題なかった。(139ページ)

ロックウェルはP-51マスタング戦闘機を作っていた軍需企業で、のちにアポロが月面着陸した時の司令船やサターン・ロケット用エンジンを作った会社である。

低コストのディスプレーを求めてRCAから技術導入

RCA(当時世界最大の電機メーカー)の研究開発チームは「液晶ディスプレー」の開発に取り組んでいた。液晶は、1888年にオーストリアの植物学者、フリードリヒ・ハイニッツァーが発見した物質である。液体なのに液晶のように分子の並び方に規則性がある物質で、様々な光学的現象を引き起こす。RCAはこの特性を使い、光を透過したり、遮断したりすることでDSM(動的散乱モード)というディスプレーを作ろうとしていた。(182ページ)

1977年太陽電池付き電卓EL-8130を発売

重さはわずか65グラム。価格は8500円にまで下がった。早川電機が1964年に初のオールトランジスタ電卓を発売してからわずか13年で、電卓の重さは384分の1、価格は63分の1にまで下がった。・・・日本生の電卓は世界市場を席巻した。電卓は軍需用の特殊なデバイスにすぎなかった半導体に量産の可能性をもたらした。1971年に国内で生産された半導体の実に40%が電卓に使われていたのである。コンピュータ用は26%で、テレビ用は13%に過ぎない。(193ページ)

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Sharp Elsimate EL-8130 Arithmetic Calculator - Computing History

ロケット・佐々木

佐々木氏はシャープの技術担当専務として電卓開発の陣頭指揮を執った。ロケット佐々木の命名は半導体の開発パートナーであったロックウェル社の技術者達が命名したものだという。佐々木氏の仕事のスピードはロケット並だということである。

佐々木氏は”共創”という言葉を掲げる。複数の英知が集うことで無限の可能性が引き出される。電卓は現在の民生用エレクトロニクス機器の元祖にあたる様な商品である。この商品の成立には軍事用から転用した半導体、反応速度を上げて実用化した液晶ディスプレー、太陽電池が搭載されていた。今から約40年前の電卓も先達との共創で生まれ、その後のスマートフォン液晶テレビの先達でもあった。当時佐々木氏は世界に無いものを生み出した。

蛇足

佐々木氏は1915年生まれ、今もご健在です。

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