毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

大量生産はいつどこで始まったか?~『大量生産の社会史』アメリカ歴史博物館編(1984)

大量生産の社会史

アメリカ歴史博物館編纂、ネザン・ローゼンバーグ氏が大量生産がなぜアメリカで始まったのか、 を考察する。(1984)

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アメリカ的製造方式

1851年のロンドンの水晶宮博覧会のときまでに、イギリス人が「アメリカ的製造方法」とことさらに名付けた多くのアメリカ商品について、十分に特徴的になにかが現れた。この表現は①専用機械で生産され、②高度に標準化され、③互換性ぶひんから作られた商品を指すのに使われた。(64ページ)

どうしてアメリカで大量生産が始まったのか?

通常アメリカ特有の大量生産の代表とみなされている銃製造業においては、もっともオリジナルな貢献は、最小の労働者で銃床の整形を行う一連の旋盤の開発と改良であった。これらの労働節約機械は、バーミンガムの職人による銃床成型と比べて、最初は木材をたいへん浪費したが、これは森林資源豊富な経済では些細なことであった。…(旋盤の持つ意味は)資源の豊かさが、ヨーロッパよりも早く、より深く新しい機械技術の可能性を追求する刺激をアメリカにあたえたことが本質的な点である。…かくて広範囲な製造業において、アメリカは、豊かな天然資源投入が労働を代替する新技術を開発―採用するつよいインセンティブを有していた。同時に天然資源浪費型の機会を安価に作ることができた。…アメリカの経済は、ある程度の技術的ダイナミズムと創造性を発展させた。

資本財産業が技術的ダイナムズムを背負った

技術的ダイナミズムは、大部分、アメリカ工業化過程において資本財産業が演じた独特の役割と、その産業の操業の好条件によるものと信じる。なぜならば、これらの資本財産業―ここではおもに金属の加工成形の関する産業をいうが―は、金属加工技術が獲得され開発され、そこからその技術が最終的に一連の新しい標準化産品=互換性小火器、掛時計、腕時計、農業機械、金物類、ミシン、タイプライター、事務機器、自転車、自動車―の生産に移転される学習のセンターとなったからである。(72ページ)

大量生産の社会史

 

我々のイメージする大量生産方式の起源は1822年の銃床製造用の旋盤利用に始まると考えられている。大量生産は約200年の歴史を持つにいたった。アメリカでは天然資源に恵まれ、一方労働者は相対的に乏しかった。これらの条件が旋盤の使用を促進した。

一方でイギリス人は、低価格、大量生産に対し職人気質が邪魔をした結果として大量生産への指向が高くなかった。

間違いなく大量生産は世界経済を豊かにした。米国はもはや製造業としての大量生産に優位性を持っていない。今は中国を始めとする新興国(の一部の国)の方が大量生産に関し優位性を持っている。200年前、ヨーロッパが見た米国は、我々が見た現代の中国とどこか重なる。

蛇足

大量生産は今も進歩を続けている

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