毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

フォードは自動車、大衆社会、そして大企業を作った~『藁のハンドル』ヘンリー・フォード(2002)

藁のハンドル (中公文庫―BIBLIO20世紀)

  アメリカの自動車王ヘンリー・フォードは、今世紀のはじめ今日の資本主義の基礎を築いた起業家のひとりであり、自動車の大量生産方式を確立した人物である。大企業の目的は人々を貧困の辛い労働から解放し生活を楽しめるようにすること、と語った彼の生涯。(原書は1926年、翻訳は1991年、文庫は2002年)

 

誰でも買える車を~フォードの新しいアイデア

小型で、丈夫で、シンプルな自動車を安価につくり、しかも、その製造にあたって高賃金を支払おうというアイデアである。1908年10月1日、私たちは現在(1926年)と同じタイプの小型車第1号を世に送った。1924年6月4日には、1000万台となり、1926年の今日、1300万台の大台に乗っている。

ここで重要なのは、フォード社が、ほんのわずかな人々しか雇っていなかった小工場から、20万人以上の人々を直接雇用する一大事業へと成長し、しかも従業員は一人残らず、最低日給六ドルの賃金を受け取っているという事実である。(15ページ)

あなたの現在の地位は自分で作ったのだろうか?

世の中には、いつも二通りの人間がいる。つまり開拓する者と、ゆっくり進む者とである。ゆっくり進む者はいつも開拓者を非難する。開拓者が、せっかくの機会をすべて奪い去ってしまったというわけである。だがはっきり言えることは、もし開拓者が最初に道を開かなかったならは、ゆっくり進む者には進むべき場所が存在しないはずだ、ということである。…あなたは、これまでに機会を見つけたり、つくったりしただろうか。それとも他人が見つけたりつくったりした機会の恩恵を受けているのだろうか。(17ページ)

1908年T型車の発表

T型車は安くて軽量で、パワーのある大衆車として、大量生産されることになる。1910年にミシガン州ハイランド・パーク工場が操業を開始し、1914年には、世界初のコンベアライン式の組み立てをスタート、年産23万台に達した。同年、それまで1日2ドルだった最低賃金を5ドルに上げ、また一日8時間労働制を導入、あわせて、1908年の発売当時は850ドルだったT型車の価格を490ドルにまで引下げ、世間をあっと言わせた。

フォードが、この大量生産という方式を発想したのは、シカゴの食肉解体工場のシステムを見学したときだと言われている。牛の解体があまりに手際よく、あっという間に終わるのを見たフォードは、逆に、バラバラのものから一つの商品を作るkとおも、同じように単純作業で短期的に行えるのではないかと考えたのだ。(訳者あとがきより、242ページ)

フォードが大企業を作った

 本書のタイトル「藁のハンドル」は藁を原料に安価な材料を開発、今まで木材を使っていたハンドルを藁由来の材料に切り替えたことに由来している。

フォードは大量生産をもたらし、購買力を持った大衆を生んだ。アメリカの広大な市場を自動車によって一つに結び付けた。生産ラインに動力源を持ち込むことで生産性を向上させた。これらの結果米国に大企業が誕生した。

フォードは正に起業家だった。「あなたは自分の仕事は自分で作ったか?」と問うとき、この直球の質問は深く考えさせる。大企業という形態はメリットがあるから生まれた。大企業もまた最初は小さな、しかし視野の広いアイデアから生まれた。

本書は1926年の執筆だが今読んで、何の違和感もない。1903年フォードが誕生して110年、つまりは現代の大企業の多くがフォードの経営戦略の延長線の上に存在している。

蛇足

 

あなたは仕事に何か新しいものを付加しましたか?

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