毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

産業革命は急激な人口増加をもたらしていた!~『産業革命 (世界史リブレット)』長谷川 貴彦氏(2012)

産業革命 (世界史リブレット)

長谷川氏はイギリス近代史の研究家、産業革命によってエネルギーの石炭へのシフトが進み、人口の増大と経済成長を調和的な形で進行した。産業革命は人びとの生活にどのような影響を与えたのだろうか。(2012)

 

エネルギー革命

産業革命以前においては人工と産業の成長は、天然資源の存在と土地をめぐる競合によって制限されていた。土地が食料だけでなく製造業で用いられる(燃料を含む)原料の主要な源泉である限り、土地の生産性が成長に限界を設けていたのであった。…これまで土地をめぐって競合していた、人間の生存維持と産業の成長の二つの要因が和解したのである。これによって想像を絶する人口増加と経済成長が実現可能となった。石炭という無尽蔵(と思われた)鉱石資源が、空前の規模での長期的な経済成長を可能としたのである。石炭は、産業・暖房・調理のための燃料を提供した。土地は、拡大する産業部門が必要とする人口に食料を提供するために利用されることになった。(57ページ)

人口革命

人口増加の原因について考えてみよう。…(1980年代英国の学説によれば)その原因が主に、早婚と未婚女性の減少にあったとする。すなわち、1700年から1821年のあいだに女性の平均初婚年齢は、26歳から23歳にまで低下し、一人ないし二人の子供を余計に持てるようになった。また未婚女性の比率は15%から7.5%にまで下落した。さらに非摘出子の増加の傾向もみられた。これらは、若者たいの性的指向性セクシュアリティ)に大きな変化があったことを示している。

その社会経済的背景としては、1730年代に穀物価格が低下し、その後の経済発展によって雇用の機会が増大したこと、都市への移住によって農村の道徳的統制から自由になったこと、また都市では徒弟制度が実質的に解体して、農村でも住み込みの奉公人を賃金労働者にきりかえるようになったことがあげられている。…都市や農村の社会的変容によって道徳的統制から自由になった若者は早婚を選択して、家族の規模が拡大していったのである。(67ページ)

1850年ロンドン万国博覧会が開催

 

本書によれば、1761年から1801年までのイギリス全土の人口増加率は、平均37.4%(!)、1700年のロンドンの人口は58万人、1800年には96万人であった。別の資料によれば1850年には230万人、1900年には648万人になったという。

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労働者急増、きしむイギリスとラッダイト運動

そんな人口爆発の最中にロンドン万博が開催された。ロンドンのハイドパークで1851年5月1日より10月15日まで開催された、世界で最初の国際博覧会であり、19世紀の一大人気イベントとなった。

ロンドン万博は、人口爆発の最中で行われていた。その経緯を再度整理をすれば、薪などエネルギーの生産にも供されていた土地は、食料生産に特化していくことになる。これにより穀物価格が低下、イギリスではいち早く人口増加が開始した。つまりは今まで所帯を持てなかった若いカップルが結婚し子供を持つようになったのである。

産業革命によって貧困層が増えた、と言われる。実際この頃労働者の平均賃金は1850年を頂点にピークアウトし、また統計資料からはイギリス人成人男性の身長低下が記録されているという。過密化により健康水準は悪化し、所得格差も進行した。

しかし、大局で見れば30%以上の人口増加という未曽有の時代であった。1730年~1830年産業革命はエネルギー革命を通じて、人口膨張、そして今につながる巨大都市形成をもらしていた。

蛇足

2014年グレーターロンドンの人口は850万人

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