毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

”産業革命”は何度も発生していた~『経済成長の世界史』ELジョーンズ(2007)

経済成長の世界史

 ジョーンズ氏はグローバルヒストリーの研究家、経済成長の諸起源は経済発展を抑制した諸要因の除去こそが決定的であると主張する。(2007)

本書の主張~経済成長は障害物の除去によって生じた

第一に、遠い昔を、そして広く世界を見晴らす必要がある。とりわけ、成長は突然に、しかも(イギリスの産業革命の)ただ一度だけ起こったという信念から、そして英語圏の経済史に見られるような比較的近年の西洋の事例にのみにほとんど専ら関心を集中することから離れなければならない。・・・第二に、経済成長がどのように始まるのかについて新しい解釈を組み立てる必要がある。この場合最も実り多いアプローチは、・・・障害物の除去について考えることのように思われる。(180ページ)

日本は明治維新前に経済成長が始まっていた

戦国大名たちはそれぞれ領地で灌漑用水路網に多大な投資を行い、古くからあった事業の活力を継続、向上させていた。(149ページ)

a)藩単位の分割に内在していた全国市場形成への制約を取り除いた国家統一・・・e)共同体農業の解体と商業的動機に従来より敏感な核家族農業への移行を一因として、くびきから解放された農業生産の並外れた感応度である。一言で言えば、徳川幕府による容赦ない厳しい政治秩序の確立が、意図せず強力な市場の力を解き放ったのである。(150ページ)

・軍事社会における民生経済の拡大はまさに、徳川幕府の平定と統一の産物だったので

   ある。

・農業生産高は1600年から1850年にかけてほぼ倍増した。人口増加率はわずか45%で

   あったから、一人当たり生産高は著しく増加したはずである。

・生産性の上昇は、都市化、地域的特化と構造変化、そして生活水準と平均余命の3つ 

   の分野で実を結んだ。

10~13世紀中国の宋の時代でも経済成長が発生していた

宋朝が国家の(交通部門における)投資に加えてより広い市場の自由とを結合させたことは、生産的な活力を解き放った理由と考えられる。その上に・・・現物による賦課から貨幣による請求へと移行したのである。ひとたび生産が伸び始めると、現金徴収への変更は、政府の取り分が少なくなることを意味したのであろう。(90ページ)

経済成長の世界史

本書の主張は、イギリスの産業革命に始まる西洋の経済成長が唯一のものではないと主張する。日本と欧米が経済成長をしたのは政治構造の進化により障害物が除去されたからであると考える。

10~13世紀の中国、宋の時代、陶磁器、可動活字、火薬と火器、水門、船尾の舵、船の外輪、水力紡績機などの技術革新がありそれは産業革命にも匹敵するインパクトを持っていたという。

日本においても農業生産性の高まりが都市化を支え、商業と軽工業の発展を見ていたと指摘する。

工業化のインパクトがあまりに大きいので忘れがちであるが、過去工業以外の生産性向上により高度成長をした時期があったという指摘は重要である。我々が今工業化社会から情報化社会に移行しているのだとすれば、経済成長の形もまた違ったものになるはずである。産業革命をより相対的に捉えることこそが今求められている。

蛇足

経済成長はレッセフェールによって実現する

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