毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

”日本経済衰退論”は”あなたの衰退論”ではありませんか?~『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』井上智洋氏(2016)

人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊 (文春新書)

 井上氏はマクロ経済学の研究家、人口知能が経済をどの様に変えるのか?(2016)

 

日本は衰退する運命にあるのか?

年配の人文系知識人が、己の人生の黄昏に重ね合わせるように、「わが国の零落は避けられない!」などと感傷と諦念の想いを込めながら説くような論説が目を引きます。

日本経済は成熟し切っており、少子高齢化の進展とともに衰退するより他ないので、さらなる成長を欲することなく、黄昏ゆく運命を慎ましく受け入れるべきだというわけです。

人間、年をとるのにしたがって、お金が貯まっていくのとは逆向きに欲望は減じていくので、熟年に至るとこれ以上の物質的豊かさは不要ではないかという心持ちになってきます。

したがって、年配の方が「経済成長はもはや不可能だ」とか「経済成長をめざすべきでない」といったいわゆる「反成長論」を唱えたとしても、ご当人のそういった心持ちの分だけ割り引いて拝聴する必要があります。(105ページ)

第三次産業革命

新たなGPT(汎用目的技術、General Purpose Technology)であるコンピュータとインターネットが引き起きた「第三次産業革命=情報革命」です。・・・コンピュータそのものは1940年代に発明されていますが、・・・(社会的なインパクトという点からは)第三次産業革命の始まりは1940年代などではなく、コンピュータによる生産性上昇率の上昇がアメリカで見られるようになった1990年代とするのが妥当でしょう。とりわけ1995年は、初めて広く家庭に普及したパソコンのOSであるWindows95が発売されたシンボリックな年です。このOSの普及に伴ってインターネットが普及したので、1995年は一般に「インターネット元年」と呼ばれています。・・・ただし、日本のこの20年間は「失われた20年」という長い不況の時代であり、新しい技術の研究開発および導入に関わる雇用や予算が伸び悩んでしまい、イノベーションの果実を経済成長として味わうことができませんでした。(122ページ)

それでは第四次産業革命は?

第四次産業革命では、生産活動が「純粋に」機械化されます。それ以降の経済、つまり「純粋機械化経済」では、・・・労働の投入が必要なくなり)・・・AIやロボットなどの機械のみが直接的な生産活動を担うようになります。機械が「生産の手段」から「生産の主力」に成り代わるわけです。(173ページ)

人口知能と経済の未来

著者は2030年頃に汎用AIが登場するならば、その後は急速にあらゆる雇用が失われていくと指摘をする。その時ごく資本家を除く大多数の労働者は仕事を失う。残るのは汎用AIを使って何かをやろうとするクリエイティブ、マネージメントな業務と人間と接するホスピタリティな仕事が残ることになり、それは就業人口の10%程度にしかならない想定する。

労働を与えられた仕事に肉体あるいは頭脳を提供する存在と考えればALに代替される部分が多いのは当然である。技術の変化によって求められるスキル、内容は変化する。

労働が存在しない世界とは如何なる世界であろうか?労働者が収入を失って貧困に苦しむ世界なのか、すべての人が汎用AIによる成長を享受できる世界なのであろうか?

私が思うにその違いはごくわずかである。誰でもがクリエイティビティ、マネージメント、ホスピタリティ、その何れかを提供することができるはずである。

我々は第三次産業革命の果実を直接は享受できなかったのかもしれない。日本は高齢化していき、条件は更に悪くなるのかもしれない。それでもなお、“年配の人文系知識人“の様に「反成長」に陥ってはいけない。それは決して悟りなどではなく、臆病になっただけである。

誰かが次の世代にバトンを渡さなくてはいけない。それでは誰に何を渡すのか?それを考えることが我々の責務である。

蛇足

労働が無くなっても人間の営みはなくならない。

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