毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

シャープ経営危機の本質~『イノベーションはなぜ途絶えたか: 科学立国日本の危機』山口栄一氏(2016)

イノベーションはなぜ途絶えたか: 科学立国日本の危機 (ちくま新書1222)

山口氏はイノベーション理論・物性物理学の研究者、 かつて「科学立国」として世界を牽引した日本の科学とハイテク産業の凋落が著しい。(2016)

 

イノベーション型企業シャープ

1912年に早川徳次によって創業された老舗ベンチャー企業シャープは、売上高2兆円規模の大企業になった現在においてもベンチャーのDNAをまじめに受け継いできた会社である。

生み出された部品やそれに基づく製品はどれも驚きに満ちたものばかりで、量産太陽電池(59年)、トランジスタ電卓(64年)、液晶電卓(73年)、大型カラー液晶(88年)のような世界初の先端技術製品のみならず、両開きの冷蔵庫ドア「どっちもドア」(89年)や、開くとキーボードがせりあがる極薄ノートパソコン「メビウス・ムラマサ」(98年)、さらに今や当たり前になったカメラ付携帯電話(2000年)などは、グッとくる感動すら覚えた。(32ページ)

シャープ危機の本質~山登りのワナ

シャープの危機は、一見「液晶事業への過大な投資」にあったとみることができる。しかしその底流には、液晶への過度な選択と集中によって次世代に向かうべき研究・開発ができなくなるという組織のジレンマが存在していた。その現象は、1990年代後半に発生した。

研究開発本部の科学者・技術者ら「未知派」は、たとえディスプレイ技術部門ですら「ちがう未来」に向かうべき製品のビジョンを描くことも、それに向けて自分が明らかにしなければならない要素技術の研究も許されなくなった。ブラックボックス化という会社の方針がそれにさらなるタガをはめた。・・・こうして(液晶の生産に邁進するという)山に登り始めたら、その頂点に向かって迷いなくまっしぐらに登っていき、未知の山の存在など見向きもしない空気が組織全体を支配するようになってしまった。(55ページ)

シャープに学ぶ教訓

第一に、(今あるものを改善して山を登る)「演繹」ばかりに固執して「山から下りられなくなる」のを防ぐために、常に 「帰納」をし「本質」に向かって下りる修業をすることだ。・・・第二に、未来に至る価値の創造は・・・常に「ちがう未来」を構想し、分野や業界の「知の越境」を果たして「回遊」することである。(219ページ)

 

イノベーションはなぜ途絶えたか~科学立国日本の危機

山口氏はシャープの経営幹部研修を通じシャープの技術系幹部と10年にも渡る接点があったという。2000年代中頃から「液晶事業はいずれ終焉を迎えるから次の未来製品を考えなければならない」と経営幹部自身が気付いていたという。それではなぜ新製品開発ができなかったのか?液晶事業という山をめざして、ヒト・モノ・カネという生産要素を集中させた結果、他のもっと高い山=新分野・新技術が見えなくなって、新製品開発ができなくなってしまったと分析する。

シャープの経営機器は液晶への過剰投資ではない。経営危機の本質は液晶しか投資するものが見えなくなってしまったことにあった。知らず知らずのうちに低い山、登りやすい山に選択と集中をしたとき、大きなリスクが生まれる。

蛇足

新生シャープR&Dのビジョン、”世界の分業の中で日本人の頭脳と能力を生かして世界に貢献すする”(49ページ)

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