毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

どうして「和」が日本の、という意味を持ったのか?それは古代日本人が最初に選んだ「国名」だった~『逆説の日本史 1 古代黎明編』井沢元彦(1993)

逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎 (小学館文庫)

井沢氏は作家、日本人の「わ」の精神のルーツは?1993年の文庫化

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 日本の国名は「ワ」という発音だった。

 

 

 

日本列島人(原住民)が、中国人に国の名を問われて、「我らの国」(つまり「ワ」といった。それゆえ、「倭」となった。・・・つまりこれは「倭」という「中国語」ではなく、もとは「ワ」という日本語で、その日本語に中国人が「倭」という字を当てたに過ぎないのではいか、ということなのである。・・だから「倭」という字の固有の意味、たとえば「遠い」とか「みにくい」をいくら考えてもムダなのである。(88ページ)

 

「ワ」という発音を表す言葉は何だったか?

 

 

同じ古代でも、少し時代が進み中国との交流が進んだ頃、日本列島人は自らのことを「倭」ではなく「和」と称するようになったということだ。・・・どうして「和」が選ばれたかといえば、日本列島人の側が自分たちの言葉(概念)である「ワ」に一番近い中国語で、しかも発音が似通っている字を選んでもらったと考えるのが、一番筋が通る。(96ページ)

 

大和言葉で「ワ」は二つの言葉しかない

 

 

・まず「輪」である。この中国語発音は「リン」であるから、これは外来語ではない。もともと日本に「ワ」という意味があり、それと中国語の「輪」が同じ意味であることかっら「輪」という字を「ワ」と読むことになったのだろう。次に「環」もある。これも中国発音は「カン」であるから、やはりもとは大和言葉の「ワ」であろう。この二つしかないのである。(99ページ)

 

日本列島人は集落を「環」と呼んでいた

 

 

これは古代の日本の集落(あるいはクニ)が周囲を濠(ホリ)を「めぐら」した「環濠集落」だったということだ。倭とは実は「環」であり、古代日本人は、集落のことを「環」と呼んでいたのではないか。(100ページ)

 

日本という国名

 

著者は「環」は集落の概念であり、それは国家という概念に拡張した時、古代日本人は「和」を選択したと説明する。古代日本人は自らのアイデンティティとして「和」という字を選択した。そしてそれは聖徳太子の17条憲法(604年)の「以和爲貴、無忤爲宗」に引き継がれたと考える。

我々は「和を以て貴し」という言葉を知っている。古代日本人が自ら選択した「和」という名称、あるいは1400年前の17条憲法、現代の日本人もまた、良きにつけ悪しきにつけ、これらから深く影響を受けている事を実感する。

蛇足

 どうして日本食を和食と言うのか、理解できた。

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