毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

日本人論は西洋文化圏にいる日本人の精神安定剤だった~『「日本人論」再考』船曳建夫氏(2010)

「日本人論」再考 (講談社学術文庫)

 船曳氏は文化人類学の研究家、明治以降、夥しい数の日本人論が刊行されてきた。そこには、私たちを繰り返し襲う「不安」がある。(2010)

 

日本人論仮説

「日本人論」とは、近代の中に生きる日本人のアイデンティティの不安を、日本人とは何かを説明することで取り除こうとする性格を持つ。不安を持つのは、日本が近代の中で、特殊な歴史的な存在であること、すなわち。「近代」を生み出した西洋の地域的歴史に属さない社会であった、ということに由来する。その、日本がいわゆる「西洋」近代に対して外部のものであることは歴史的な規定であり、時間をさかのぼっては変えることはできないから、不安は、繰り返しやってくる。・・・物語の現在は、あくまで、ここ150年、「近代」の物語である。(41ページ)

今後の日本人論

何度も歴史的な揺り返し、つまり新たに、近代の中での日本人の位置に不安を感じることが必ずくると予想される。とりわけ、他のアジア諸国との関係の中で、日本が、アジアと西洋の間に立って、そのアイデンティテイィが揺らぐときが必ずくるはずだ。(310ページ)

日本人論の終点

日本人論を必要としていない若い人々は生まれている。・・・グローバルな動きの中で、それに触発され、対抗して同時にローカルなものが独自性を発揮したり、ローカル化して定着したりするものだ。日本を世界の一部として、(西洋に対して)辺境でもなく、どこでもなく、地球上の1点としてとらえる思考法が生まれ、根付いている。・・・明治以来、1990年までを日本人論を必要としていた日本ナショナリズムの形成期だとしたら、それと同じくらいの長さ、たとえば、21世紀が終わるくらいまでかけて、日本人論を必要としない「日本」に変容するのだろう、と私は考える。(336ページ)

「日本人論」再考

1894年内村鑑三「代表的日本人」、1899年新渡戸稲造「武士道」、1906年岡倉天心「茶の心」から始まり120年に渡り日本人論が繰り返し執筆されてきた。

我々は社会的に西洋文化圏に居る。そしてその事に本質的に不安感を抱いている。中国を含むアジアにおいて日本は西洋文化圏に一番早く適応した。他のアジア諸国も西洋文化圏に組み込まれつつある。我々は西洋文化圏に一番良く対応している国から、一番最初に対応した(だけの)国に変化する過程にあるのかもしれない。

その時、再び日本人論を必要とするのか、もう日本人論を必要としなくなるのか、我々の選択にかかっている。

蛇足

引用される最後の日本人論は2009年内田樹氏の日本辺境論

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