毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

ベトナムの歴史

 ベトナムという国名は1804年清によって命名、漢字では超南と書く。ベトナムの歴史を簡単にまとめると紀元~10世紀が中国の支配下、939年の独立後19世紀半ばまでが中国の冊封体制下、そして1884年にフランスの植民地となり、近代に続く。

 

物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム (中公新書)

小倉氏は読売新聞記者を経てインドシナ近現代史、東南アジアの国際関係の研究者。 ヴェトナムの歴史はアジアの国際関係史である。この関係史はAとB、二つの軸を形成している。A軸は中国との対立と交渉の関係史だった。紀元前から始まる中国の1000年の支配、それに次ぐ独立の時代。しかし、独立したとはいえ、常に中国の侵略におびえ、抵抗した1000年だった。(中略)B軸はヴェトナムと東南アジアモンスーン地帯の諸民族との関係史である。とくに、チャム、ラオ、カンボジア、タイなんどの関係史である。ヴェトナムは中国の1000年の支配を脱すると西方、南方に勢力を伸ばした。ヴェトナムの歴史では「北属南進」といわれる。北の中国の圧力を受け、朝貢を続ける一方で、南へ勢力を伸張し、チャム、カンボジアの領土を併合していった。(7ページ)

小倉氏によればベトナムの人々にとって一番輝かしい時代はレ・タイン・トンの治世の時代(1460ー1495)だそうである。この時代は明の時代にあたり、冊封・進貢政策、海禁政策が中国の政策だった。中国は内に閉じこもり、ベトナムが自由に海上貿易による勢力拡大が可能だったのであろう。これは琉球が海上貿易により繁栄した時期と一致する。

アジアは多様性がありすぎて一括りでは語れないと言われるが、A軸で日本を含むアジアの歴史を俯瞰した上で、多様性の中に共通項を引き出す事が出来ないものであろうあか? 

 追記:1979年2月中国はベトナムに侵攻する。

1979年に起きた重要な事。

1アメリカ合衆国中華人民共和国が国交樹立

2 イラン革命

5 イギリス保守党の党首サッチャーが首相に就任

7イラクバアス党サッダーム・フセインがイラク大統領に就任

11 イランアメリカ大使館人質事件

12 ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻