毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

お釈迦様の教えを一言で言うと、「計画を建てましょう」という事~『仏教は宗教ではない』アルボムッレ・スマナサーラ氏×イケダハヤト氏(2014)

仏教は宗教ではない~お釈迦様が教えた完成された科学~ (合冊版)

 アルボムッレ・スマナサーラ氏はスリランカ上座部仏教の長老。イケダハヤト氏はブロガー。宗教とは何か?自分とは何か?生きることの意味は何なのか?「宗教」「仏教」の疑問から「自我」「死生」まで、イケダハヤト氏がスマナサーラ長老へ直球インタビュー。2014年刊

仏教は科学である。

 

 

医学が「人の病気をどう直せばよいか」を考えるのと同じように、仏教の場合も「人間にはなぜ悩み苦しみがあるのか」を考える。事実を発見しただけでは意味がないですから、「治しましょう」「問題を解決しましょうよ」と言います、私は「仏教とは完成された科学です」と、完成さえたという形容詞をあえて使うのです。・・・なぜかというと、残念ながらお釈迦様の「完成された科学」以上に発見するものはないからです。(13ページ)

 

解脱を目指す

 

 

お釈迦様は、「殺されず殺さず。怒られず怒らず。生きる苦しみから脱する、何かいい方法はないのか」と考え、答をだしてしまったんです。それが仏教でいう「解脱」ということなのです。それを頑張ってみると、「生きる価値」が見つかります。仏教用語でいうならば、解脱を目指すならば、解脱に達するまで生きてもらわないと困る。それだけです。(67ページ)

 

無常という事

 

 

仏教は「時間を瞬間で見ます。ナノ秒にするんですね。そうすると、ものごとはずーっと変わり続けているのが見えてくるのですね。・・・仏教は毎日「ナノ秒」「瞬間」で変化する考え方ですから、進化そのものなんです。ただ流れるだけというのはろくなもんじゃない。ぐるぐると回るだけです。だから、意図的に進化しなさい、と。自分で計画を立てて進化すべきなんです。進化と無常は「変わる」という同じ意味です。・・・生物学的な進化には何の目的もありません。仏教はもう一つ付け加えたいんですね。「計画を立てましょう」と。(86ページ)

 

イケダハヤト氏は説明する、

 

 

「生きる意味など何もない!それは前提だ。では、あなたはどう生きるのか?どう行動するのか?」・・・とおいうふうに、仏教の教えというには「問いかけ」を突きつけているように聞こえます。・・・これは一般的に宗教には希薄な性質だと思います。(94ページ)

 

自ら問いかけ、自ら計画する

 

仏教の本質は無常である、そこで貴方は何をするのか?人間にとって究極の質問である。その質問の答えを探す事、それが生きるという事である。この短い文章は現代物理学と同じ事を伝えている。物質とエネルギーは等価であり、変化しないものは無い。時間は離散的であり、常に変化している。そこにあるのは「計画を建てる事」というシンプルな答えである。

こちらもどうぞ

 

kocho-3.hatenablog.com