50年後の人たちは我々の社会を見て何と思うか?~50年前の写真を見て思うこと
民俗学者の宮本常一は、昭和を代表する空前の旅人だった。彼は73年の生涯に、地球を丁度4周する16万キロもの行程を日本全国に印した。泊まった民家は千件以上にも及び、野宿することも珍しくなかった。 宮本を物心両面から支えたパトロンの渋沢敬三が、宮本の業績を称していった言葉は有名である。「日本の白地図の上に宮本くんの足跡を赤インクで印していったら、日本列島は真っ赤になる」(佐野眞一氏)
忘れられた日本人
本書は1960年が初版、「無字社会の生活と文化」と定義した庶民の日本の人々の伝承を集めるべく、農村、離島の老人の伝承を記録していく。1950年「日本の中で古い文化や風俗が保存されている」対馬の総合調査に参加。
対馬の「寄り合い」を経験
会場の中には板間に二十人ほど座っており、外の樹の下に三人五人と固まってうずくまったまま話しあっている。村でとりきめを行う場合には、皆の納得のいくまで何日でも話し合う。はじめには一同が集まって区長からの話を聞くと、それぞれの地域組で色々話し合って区長の所へその結論を持っていく。もし折り合いが付かなければまた自分のグループに戻って話し合う。区長・総代は聞き役。まとめ役としてそこにいなげればならない。とにかくこうしてニ日も協議が続けられる。(13ページ)
対馬での古文書調査を行う宮本氏(別冊太陽74ページ)
この寄り合い方式は近頃始まったものではない。村の申し合わせ記録の古いものは二百年近い前のものもある。(16ページ)村里ないの生活慣行は内側から見ていくと、今日の自治制度と大差のないものが既に近世には各村に見られていたようである。(57ページ)
本書あとがきより
我々はともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向が強い。それで一種の悲痛観を持ちたがるものだが、ご本人たちの立場や考え方に立ってみることも必要ではないかと思う。(306ページ)
現代は幸福を実現した社会か?
「前近代社会が宗教的権威や伝統的権威に依存した政治体制だというのは近代的偏見に過ぎない。(来るべき民主主義246ページ國分功一郎著)」懐古趣味でもなく、進化論的視点でもなく、それぞれの社会はそれぞれの工夫があった。
1962年 対馬のせんたく場(別冊太陽79ページ)50年前の写真はもはや失われた風景
蛇足
50年後の人達は我々の社会を見てどう思うか想像してみる。