毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

生物学が明確にしてくれる、天文学は人間の認識能力の範囲内で構築されている現実

生物から見た世界 (岩波文庫) エクスキュルは1864年(!)生まれの動物比較生理学の研究家、本書は1934年の出版。 (エクスキュルとカントは70年の、そしてエクスキュルと現代でも70年の時間差がある。)

ダニは、嗅覚、触覚、温度知覚の3つで構成された環世界にいる

(ダニという)盲目で耳の聞こえない追いはぎは、嗅覚によって獲得の接近を知る。哺乳類の皮膚腺から漂い出る酪酸の匂いが、このダニにとっては見張り場から離れてそつらへ身を投げろという信号として働く。そこでダニは、鋭敏な温度感覚が教えてくれるなにか温かいものの上に落ちる。するとそこは獲物である温血動物の上で、あとは触覚によってなるべく毛のない場所をみつけ、獲物の皮膚組織に頭から食い込めばいい。こうしてダニは温かな血液をゆつくりと自分の体内に送り込む。(12ページ)

こうして生物学はカントの学説と決定的な関係を持つ事になった。(24ページ)

 

環世界とは知覚によって認識される生物固有の環境の事。

カントは完全な認識能力を認めない

カントの認識論では、人間の認識能力は神の様に完全ではなく制約されている。様々な生物の認識はそれぞれの感官のありように従って限定されている。たとえばアメーバよりとんぼの認識が、とんぼより犬のそれがいわば限定の度合いが少ない。そして人間が一番高度な認識を持つ、と考えられる。(竹田「哲学入門196ページ)

天文学者の環世界

図はいちばん簡単に表せる天文学の環世界である。地球からできるだけ遠く離れた高い塔の上に、巨大な光学的補助具によってその目を宇宙の最も遠い星まで見通せる様に変えてしまった一人の人間が座っている。彼の環世界では太陽と惑星が荘重ん足どりで回っている。(中略)しかしこの環世界全体は、人間主体の能力に応じて切り取られた、自然のほんの小さな一こまにすぎない。(155ページ)

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本図と宇宙に存在するハッブル望遠鏡は同じ概念

 

Kochoの考えた事~哲学と科学の目的は一緒

科学は自然哲学から始まった。今日では科学の領域の肥大化により哲学との接点が見いだし憎い。今から80年前の本書は自然な形で生物学と哲学の融合を示している。

蛇足

天文学は光学から電波へと知覚の範囲を拡大、人間の環宇宙もまた拡大。