毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

我々は人類のアフリカ起源説をいつ知ったか?~『人類の足跡10万年史』オッペンハイマー(2007)

人類の足跡10万年全史

オッペンハイマー氏はDNA研究と考古学を結びつけた研究者、現生人類はアフリカで生まれた。一度は絶滅しかかったわれわれの祖先は、やがてアフリカを旅立つ。(2007年)

 

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アフリカ起源説

 

1988年、「ニューズウィーク」誌の表紙を黒人のアダムとイブの洗練されたヌードがかざった。・・・わたしたち「現生人類」は過去20万年以内にアフリアで一つの遺伝子系統として誕生したのであり、世界の多地域で個別に進化してきたのではないという。もとをたどればネアンデルタール人と共通の祖先にたどりつくこの一つの系統は、5,6の主だった母系一族(あるいは系統)を起こし、それらは今日でも明らかなアフリカ起源説を保持しているのだ。(66ページ)

 

f:id:kocho-3:20150415065136p:plainッペンハイマー「人類の足跡10万年全史」|フランス滞在旅行記

 
ヨーロッパ人の多地域進化説

 

 

ヨーロッパ人は、自分たちの過去や、旧石器時代物質文化における自分たちの優位性に偏狭な執着心をいだいてきたので、前世紀には多くの俗説が生まれた。簡単に言えば、最初に象徴的・抽象的に考え、話し、描き、彫り、体を覆い、織り、物の交換をしたのはヨーロッパ人だ、というものだ。(112ページ)
考古学はヨーロッパで始まった

 

 

早期現生人類の創造性(およそ1万8000~3万5000年前の上部旧石器芸術と技術)が初めて、そしてその大半が発見されたのはヨーロッパだった。結局のところ考古学はそのヨーロッパから始まり、過去150年間、考古学のほとんどはヨーロッパ出身だった。南フランスのラスコー、ショーベの洞窟絵画に見られる優雅さ、リアリズム、認識力はよく知られている。(このヨーロッパで発見された上部旧石器の)芸術的爆発に対する感嘆が、無意識のうちに、これを現生人類の成熟のしるしとする見方につながるようだ。(116ページ)

 

アフリカ起源説はわずか25年前の出来事

 

我々にとってアフリカ起源説、ミトコンドリア・イブは旧知の事実である。それではアフリカ起源説が認知されたのはいつだったのか?1988年にニューズウィーク誌の表紙を飾った時点では“ニュース“だった,つまり非常識であったという事になる。それ以前はアフリカ起源説と多地域進化説の論争が続いていた事になる。

著者のオッペンハイマー氏はヨーロッパ人の多地域進化説を「人間の潜在能力を、道具や生産物や「文化的発達」によって判断」する間違いに基づくと説明する。一方アフリカ起源説は人類の生物学的な潜在能力が人種間で同等であるという結論を導き出す。注目すべきは25年前まではこの二つの論争に結論を出せなかった点である。

道具や生産物を沢山持っている人間は偉いのか?文化に高等も下等もあるのか?それは生物学的に優れている証なのか?自分の常識の中に偏見という名の非常識がある事に気付かされる。

蛇足

 

 

人間の能力はだいたい同じ、それが現代分子生物学の回答

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