毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

私の知らなかった世界、エヴェレスト登頂~『空へーエヴェレストの悲劇はなぜ起きたのか』クラカワー(1996)

空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか (文春文庫)

著者は雑誌ライター。 1996年5月、12人の死者を出す遭難事故が、エヴェレストで発生した。雑誌のレポーターとしていわゆる「ガイド登山隊」の実態をルポするためこの登山隊に参加、たまたま事故の当事者となり奇跡的生還を果たす。(1996)

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1996年エヴェレスト登山

 

 

1996年の3月、アメリカのアウトドア誌「アウトサイド」はわたしをネパールに派遣し、エヴェレストのガイド登山隊に参加して、その実態をレポートさせることにした。私はニュージーランドの有名なガイド、ロブ・ホールのひきいる遠征隊に8人の顧客の一人として加わり、5月10日、エヴェレストの頂上に達したが、登頂は悲惨な犠牲をもたらした。・・・わたしがベースキャンプにたどり着くまでに、四つの遠征隊の隊員が計9名死に、その月末までにさらに3人が死んだ。(3ページ)

 

エベレストに登るということ

 

 

快適なベースキャンプよる上部に行けば、実際登山は宗教議儀式にも似た厳格なものになる。快楽に対して苦痛の占める割合は、わたしが登ったどんな山より桁外れに大きくなる。エヴェレストに登るということは、何よりもまず苦痛に耐えることだと、私はたちどころに理解した。そして二週、三週と、労役と退屈と苦痛に耐えながらすごすうちに、あるときふと思い当たった-ここに来ている大部分の者が求めているものは、聖寵のようなものではないだろうか、と。(185ページ)

 

1996年という年

 

 

1921年から96年の5月のあいだの登頂人数は述べ630人を越えるが、死者の数は144人、その割合は登頂者4人に1人ということになる。ところが、1996年の春には84人が頂上に達して、12人のクライマーが死んだ-その割合は7人に1人の割合だ。こういった過去の水準から見て、じつは、1996年はいつもの年よりも安全な年だったのである。(369ページ)

 

欲望と理性

 

エヴェレストに登ろうとするのは本質的に不合理な行為だ-欲望が理性に勝ってしまった。エヴェレスト登山を本気で考える人は誰も、本質的に理詰な議論の影響を超越している。(6ページ)

エヴェレストで死ぬという事

 

 

(著者の妻は出発の別れ際に)「もしあなたが死んだら」と、絶望と怒りの入り混じった声で訴える。「つけを払うのは、あなただけではない。わたしだって払わなければならないのよ、一生かかって、、、、。あなた、それでも、平気なの?」(122ページ)

 

私の知らなかった世界

 

日本人でエヴェレストに登頂した人は延198名、そのうち8名が亡くなっている。

日本人登頂者一覧

本書から約20年がたち更にエヴェレスト登頂は一般化している。相応の訓練をし、商業登山隊に加われば登頂に成功する事はもはや特別な人だけに出来る事ではない。

一方で技術が進歩したとしてもエヴェレストが「7500メートル以上の高度では、自分たちの生命がどれほどきわどい所で保たれているか」(369ページ)という状況は変わらない。エヴェレストに登るという事は自らの死のリスク、残した家族への精神的負担など、理性を越えて、昇りたいという欲望が勝った結果なのである。本書は日常と非日常の境をみせてくれる。

蛇足

 

エヴェレストに登る事、それは完全を求める行動

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