毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

我々は「好きな事に没頭する自由」を持っている、しかし覚悟が必要~1941年発刊「自由からの逃走」より

自由からの逃走 新版

ドイツ生まれの社会心理学者エーリッヒ・フロムによって1941年に発表された。フロムはヒトラー全体主義に世界が震撼するその最中に、この作品を世に送り出した。

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自己表現する事、それが世界につながる事

 
自由獲得の400年

中世末期以来のヨーロッパおよびアメリカの歴史は、個人の自由な解放史である。それはルネッサンスのイタリアに始まり、現在やっと頂点に達したかのように思われる。中世的世界を打ち破り、もっとも露骨な拘束からひとびとを解放するのに、400年以上もかかった、多くの点で個人は成長し、精神的にも感情的にも発達し、かつてなかったほど文化的所産に参加している。(46ページ)

自由からの逃走

 

 

どの様な絆からも自由であるということと(消極的自由)、自由や個性を積極的に実現する可能性をもっていないということ(積極的自由)のズレの結果、ヨーロッパでは、自由から新しい絆への、あるいは少なくとも完全な無関心への、恐るべき逃走が起こった。(46ページ)

 

権威と権威に従う者

 

 

権威とは、あるものが「持っている」資質ではない。権威は、あるものが他のものを彼よりも優越したものとして見上げるものとして見上げる人間関係と連関している。・・・権威主義的性格のもつ勇気とは、本質的に、宿命やその人間的代表者や「指導者」などが決定したことがらを、耐え忍ぶ勇気である。(190ページ)

 

積極的自由

 

 

われわれはどのような外的権威にも従属していないことや、我々の思想や感情を自由に表現できることを誇りとしている。そしてわれわれはこの自由こそ、ほとんど自動的にわれわれの個性を保証するものであると考えている。しかし、思想を表現権利は、我々が自分のもつことができる場合においてだけ意味がある。外的権威からの自由は、我々が自分の個性を確立することができる内的な心理的条件があって始めて、恒久的な成果となる。(267ページ)

 

「・・・からの自由」、「・・・への自由」

 

我々は400年かけて「・・・からの自由」は確立した。「・・・」の中に、「教会、国王、農地、思想」などを入れる事ができる。民主主義と資本主義は制度上様々な自由を保証している。消極的な自由、つまりは「・・・からの自由」は達成されているのである。

ところが我々は権威に依存している。権威は明からさまな物だけでなく、見えなくなっただ権威、常識、科学、常識り、世論などに依存している事になる。自由の持つ恐怖、孤独に耐えられるか?耐えられなくなった場合、「自由から逃走」する事になる。

自由の持つ恐怖、自由の持つ孤独、に耐えられる人にだけ「・・・への自由」に挑戦する事が可能になる。「・・・へのの自由」には「・・・」の部分に「ビジネス、出版、趣味を追求する事」を当てはめられる。つまりは積極的自由である。

結局我々は自己表現する事に躊躇する事、それこそが自由からの逃走なのだという事になる。400年かけて確立した自由、本書が書かれた70年間、我々はその自由を未だ100%活かしていない。 

蛇足 

好きな事なら没頭できる

蛇足 

 

我々はもっと自己表現していい!~パーソナルコンピュータのコンセプトを創ったアラン・ケイ氏が伝えたい事。 - 毎日1冊、こちょ!の書評ブログ