毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

リバタリアニズム主義と「商い」の共通点~「自由はどこまで可能か」、法哲学の立場から

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

ロン・ポール氏の本からリバタリアニズムという主義を知り、本書を手に取る。

森村氏は法哲学の研究家、本書は2001年刊。

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リバタリアニズム(libertarianism)とは

 

 

 

 

リバタリアニズムは、個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する、自由主義上の政治思想。リバタリアニズムは、他者の権利を侵害しない限り各人は自由であり、政府が干渉すべきでなく、最大限尊重すべきであるとする。(Wiki

 

おそらく一番分かりやすいリバタリアニズムの説明は、諸個人の経済的自由と財産権も、精神的・政治的自由も、ともに最大限尊重するという思想だろう。(14ページ)リバタリアニズムについての他の端的な説明は、「各人は自分自身の所有者である」という「自己所有権」のテーゼと同視するものである。・・・私は自分の人身(身体)への所有権として理解された自己所有権を「狭義の自己所有権」とよび、自分の労働の産物とその対価としての財産の権利を含めて「広義の自己所有権」と呼ぶことにする。(34ページ)

 

リバタリアニズムと市場

 

 

市場経済はしばしば「弱肉強食」の社会としてイメージされるが、これは間違いである。それは協力と分業によって相互に利益を与え合う共存共栄の場である。そこでは他の人に比べて相対的に小さな利益しか得られない人々もいるだろうが、その人々も強者の犠牲になっているわけではなく、やはり市場から恩恵を受けている。自由市場における「競争」は、第三者に一層大きな利益を与えようとする人々の競い合いのことである。・・・市場における競争の意味は、誰にもその結果が仮定上の「完全競争」の至るからではなく、それが人々に自分の知識を利用させ、更に発見させることができるからである。(120ページ)

 

市場の逆さま、自給自足の経済

 

 

市場経済が相互協力の平和によって特徴づけられるのと対照的に、自給自足の経済では、自分たちの外にある集団は自分たちとは関係のないよそ者であるか、あるいは稀少な資源をめぐって争う闘争の相手として見られるだろう。・・・(市場を通じた)交換は国家や文化や風習の壁を越えられるのである。(121ページ)

 

相手をリスペクトする市場

 

リバタリアニズムの視点は市場が取引相手をリスペクトする事だという事を気づかせてくれる。市場での取引は戦争やゲームの様に相手を打ち破る対象ではない。我々は自給自足社会の様な、「稀少資源を奪い合う他者」に囲まれて社会関係を維持している訳ではない。ビジネスやマーケティングにおいて軍事用語の氾濫が誤ったイメージを与えているのかもしれない。取引をする事は相手をリスペクトする事に他ならないと気づいた。「商い」で言う所の「三方よし」である。言い換えれば「商い」もリバタリアズムもフレームワークこそ違え、同じ事を言っているのである。

 
蛇足

 

 

利他の気持ち、それが市場の成立要件

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