毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

物理学はいつ誰が始めたのか?~『物理学とは何だろうか?』朝永 振一郎(1979)

物理学とは何だろうか〈上〉 (岩波新書)

 

朝永 振一郎(1906年 - 1979年)は、日本の物理学者。超多時間論を元にくりこみ理論の手法を発明、量子電磁力学の発展に寄与した功績によって、ノーベル物理学賞を受賞した。(Wiki

現代文明を築きあげた基礎科学の一つである物理学という学問は、いつ、だれが、どのようにして考え出したものであろうか。十六世紀から現代まで、すぐれた頭脳の中に芽生えた物理学的思考の原型を探り、その曲折と飛躍のみちすじを明らかにしようとする。本巻では、ケプラーから産業革命期における熱学の完成までを取り上げる。(1979年)

物理学とは何か

 

 

「われわれをとりかこむ自然界に生起するもろもろの現象-ただし主として無生物にかんするもの-の奥に存在する法則を、観察事実に拠り所を求めつつ追求すること」これが物理学である。(5ページ)

 

物理学以前

 

 

だだそれ以前には、自然法則を追求するにしても必ずしも観察に拠り所を求めていたとはいいがたく、頭のなかだけで考えを巡らす思弁的な、あるいは神秘的な哲学、そしてまた何事も神の御心にあると信じる宗教といったものと自然学とはまだはっきり分化していなかった。それのみならず、現在では学問の中にいれられないもの、すなわち呪術とか魔法とはいうものも入り混じっていたのです。(6ページ)

ケプラー、ガリレオ、ニュートン

 

彼(ケプラー)が発見に到達して道筋は、このような思弁ではなく、いわんや呪術でもなく、正確な観察事実に拠り所を求めつつ厳密な数学的推論を用いるという、先人たちに見られなかった手法をとることによっていることがわかります。これはまさに近代的な物理学の手法そのものであったのです。そして彼とほぼ同時代のもう一人の学者ガリレオが強調したあ「実験」という、これまた以前の人たちがほとんど気づかなかった強力な手法とケプラーの手法とが相まって、「観察事実に拠り所を求めつつ法則を追求する」という物理学の性格が、次代の学者ニュートンによって確立されていったのです。(17ページ) 

ケプラーが葬りさったもの~ギリシャ以来の発想法

 

 プトレマイオスにしてもコペルニクスにしても、およそギリシャ系の天文学者は、みな円という曲線と一様な回転(等角度の回転)とに固執しています。・・・つまり円という曲線は・・・始めなく、永劫に変わりなくつづく天体の運動は、まさに円を描き、かつ等角速度の回転をするものでなければならない、そういう考え方です。(29ページ) 

円から楕円へ

 

ケブラーは火星の観測データから楕円という結論を導き出した。著者はこの思考過程を「何か意味ありげな数値」を見出したことと説明する。円という前提を捨て去り楕円という概念に至る道筋は数学的推論であったという。楕円を前提におけば容易に計算できるであろう事が、無から楕円を導き出す事の困難を想像すると、数学的推論の力を再認識する。およそ2000年の発想法を打ち破った瞬間であり、物理学が確立した時であった。それはわずか5世紀前の出来事でもあった。

蛇足

 

物理学が始まった時、日本は江戸時代に入った。

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