毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

スマートフォンを発明したのは誰なのか?~『パラダイムでたどる科学の歴史』中山 茂氏

パラダイムでたどる科学の歴史 (BERET SCIENCE)

中山氏は科学史家、「パラダイム」とは、アリストテレスニュートンアインシュタインなどがそれぞれの時代に創り上げたような、「一定の期間、科学上の問い方と答え方のお手本を与えるような古典的な業績」ということで、「通常科学」がその上に成り立ちます。

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科学とは何か?

 

 

「科学とは伝達できる知識」であるということです。・・・儒教の仁、義、礼、知、信というような抽象的な主徳は必ずしも正確に伝達できるとは限りません。・・・科学が扱う対象は多くはモノであり、それは一義的に定義できるものなのです。(17ページ)

 

パラダイムと科学

 

 

パラダイムとは「一定の期間、科学上の問い方と答え方のお手本を与えるような古典的な業績」ということができます。・・・科学史では(たとえば)そのアリストテレスパラダイムの上に立って科学的知見を積み上げ、拡張させ、進歩させていく仕事を「通常科学」)ノーマル・サイエンス)といいます。つまり、パラダイムがあってはじめて、通常科学はどんどん進歩していくということです。(10ページ)

 

コンピュータ・パラダイム

 

 

コンピュータのパラダイムは「モノ」ではない。まあ言ってみれば数、あるいは情報でしょう。そして、通信の世界を支配する。・・・(モノは)物質であって、重さと大きさを持っているもの、小は原子、素粒子から大は宇宙、星雲の世界まで広がります。一方、デジタルの場合は、数ですから、抽象体で、重さも拡がりもない、物質性のないものです。(230ページ)

 

コンピュータ・パラダイムの特徴

 

 

(コンピュータ・パラダイムには)ニュートン、ラヴォアジェ、ワトソンとクリックのような、それを推進した人物の名前が見あたりません。またその著書、論文の類もこれといってはっきりとしたものは見あたりません。つまり、その通常科学的発展はあまりにも多岐を極めていて、その間にいろいろなサブ・パラダイムが発生し、およそその初めのパラダイムの示す通常科学の路線とは、離れたものになってしまったからです。・・・(コンピュータ・パラダイムは)その全体をデジタル・パラダイムというだけで、これまでのようなアカデミック・サイエンスとして、パラダイム→通常科学という単純な扱いができないのです。(232ページ)

 

コンピュータの本質は情報

 

コンピュータの本質が情報なのだとすれば、それは伝達されて初めて意味を持つ。情報を伝達する媒体をメディアと呼ぶ。スマートフォンを考えると音声、画像、様々な情報のメディアである事が明確に分かる。そしてスマートフォンやコンピュータは誰か特定の人間によって発明された訳ではない。つまりは通常科学から生まれたのであってパラダイムの転換を伴っていない。情報がモノの制約を離れつつあるがモノから100%乖離した訳ではない、これは有史以来常に継続してきた方向なのではないか。だからこそコンピュータ・パラダイムは特定のパラダイムに具体化できないのであろう。ハードウェアとしてのコンピュータではノイマン情報理論ではチューリング、これらの偉人以外に多くの人々がコンピュータ・パラダイムに関わっている事を実感する。

蛇足

 

コンピュータは情報のメディアである。

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