毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

パラダイム論からみたコペルニクス天動説の意味

 パラダイムと科学革命の歴史 (講談社学術文庫)

クーンの「パラダイム論」を日本に紹介した『歴史としての学問』(1974年、中央公論社刊)を改題し、新たに「学問のデジタル化・グローバル化」を論じた補章を加筆。科学革命で生まれた新たなパラダイムが学問的伝統を形成していく過程を解明する

 

パラダイムシフト

パラダイムは「古典的文献の経典体であって、それが学問のスタイルを定め、知的集団の専門的、職業的活動を正当づけ、規範化された学問のその後の発展コースを規定するもの」を意味するものとする。(39ページ)

既存のパラダイム、地動説

紀元後二世紀のプトレマイオスの「アルマゲスト」はギリシャ天文学の集大成であり、地球チュ晋天文学パラダイムである。それは天体の動きをすべて等速円運動で表す、もしそれでうまく見かけの現象とあわない時は、周転円(あるいは離心円)をつけて補正する。その周転円の半径とその上の回転速度を按配すれば、たいていの運動は表せる。(43ページ)

ではなぜコペルニクスは革命をおこしたか?

なぜコペルニクスは革命を企てる必要があったか?(プトレマイオスパラダイムは)現象にあえばよいのだから、各人各様のやり方のうちどれが正しいものか決め手がない。同じプトレマイオスパラダイムを奉じるとはいうものの、百家争鳴の無政府状態である。これはいったい理論といえるのか?

コペルニクスは「原則的な事柄については、(既存のパラダイムは根本原理を)見いだすこともまた説明することもできません。」として、太陽中心主義を採る事を考えた。そしてある種の周転円を除いてしまった。さらにケプラーになると、円を楕円に置き換え、等速運動を非等速にして、周転円をすっかり除いてしまった。(45ページ)

パラダイムの定着~ガリレオの役割

コペルニクス説を支持するためには、恒星の年周視差が見いだされねばならないことは当時の学者なら誰でも知っていた。これは非常に小さい値で、肉眼ではもちろん発見されない。(中略)ガリレオは望遠鏡を天に向けた。彼の見つけた木星の衛星も金星の満ち欠けも、コペルニクス説を証明するものではない。ただ彼は太陽中心説支持の意図があったので、彼の発見をしきりに傍証として使おうとしただけである。(65ページ)

パラダイムを固定化するもの

現在の天文学コペルニクスの上に専門職化集団と観測技術の深化、中山氏の言う所の「通常科学」のコースの上にある、と考えられる。

蛇足

本書では東洋と西洋の違いにも多くのページを割く。