毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

大学はいつどこで始まったか?~『大学とは何か』吉見俊哉氏(2015)

大学とは何か (岩波新書)

吉見氏は社会学、文化研究、メディア研究の研究家、大学を知のメディアとして捉え、中世ヨーロッパにおける誕生から、近代国家による再生、明治日本への移植と戦後の再編という歴史のなかで位置づけなおす。(2011) 

 

大学はいつ生まれたか?

今日につながる意味での「大学」が誕生したのは、12世紀後半から13世紀初頭にかけての中世ヨーロッパのことであった。北イタリアのボローニャで、世界最初の大学に神聖ローマ帝国皇帝の特許状が下されたのが1157年、パリ大学教皇の勅使によって設立されるのが1231年のことである。(24ページ)

中世の大学

コペルニクスポーランド北部のバルト海に使い町トルニで育ったコペルニクスは、1491年、クラクフのヤギェーウォ大学に入学し、教養課程で学芸諸学の勉強を始めた。当時の大学生は、大学での最初に4年間を教養課程で過ごし、アリストテレスの著作やユークリッド数学などの古典学を学んだ。・・・4年後、彼は故郷に戻って司祭職を得た後、教会法を学ぶためえにボローニャ大学に赴いている。・・・そのボローニャで、天文学教授の観測助手を努め、天文学研究にのめり込んでいる。1500年、同大学で、法学の勉強を終えたコペルニクスは、故郷の聖堂参事会の許可をうけてパドヴァ大学に医学生として入学する。当時、医学と天文学占星術を介して近しい関係にあった。こうして1503年、法学の博士号を得て故郷に戻るまで、コペルニクスは約12年に及ぶ大学生活を送っている。この間、彼は学芸諸学、法学、医学の教育課程に所属し、それらは何らかの仕方で天文学と結びついていた。(36ページ)

大学とは何か?

学知の領域で考えるなら、大学は誕生以来、自由学芸としてのリベラルアーツと専門知としての神学、法学、医学の対抗的連携のなかで営まれてきた。・・・神学も法学も医学も秩序の知で、様々な矛盾がひしめきあうなかで、いかに秩序を保ち、その状態をマネジメントしていくかという問いに対する答えを、神の秩序と社会の秩序、そして人体の秩序の3つのレベルで提供してきた。やがて「オッカムの剃刀」によって科学が自由学芸から分離し、発見・開発の専門知に発展していく。無数の新しい発見や発明がなされ、革新的な技術が開発され、人類の歴史を変えてきた。・・・しかし今日、全人類が必要とし、世界の大学教育が推進しようとしているのは、そうした個々の発見や開発に向かう知だけでなく、むしろ諸々の矛盾する要素を総合的に結びつけ、安定的な秩序を創出するマネジメントの専門知なのではないか?(243ページ)

今後の大学の方向性

オッカムの剃刀」とは「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」とする指針。この指針はある事柄を説明するのに「神」は不要となり、リベラルアーツから科学が独立し、発展した。著者は国民国家に比べ「デジタル技術の爆発のなかで地球大の秩序」が拡大していると前提する。その上で大学は中世ヨーロッパで誕生当時に戻り、「知のマネジメント」を目指すべきと言う。

大学誕生まで遡ると本来の役割が明確に見えてくる。

蛇足

 大学とは、人と知識が集うメディア

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