毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

1543年コペルニクスの著書「回転について」は何部印刷されたか?~『誰も読まなかったコペルニクス~科学革命をもたらした本をめぐる書誌学的冒険』(2005)

誰も読まなかったコペルニクス -科学革命をもたらした本をめぐる書誌学的冒険 (ハヤカワ・ノンフィクション)

 ギンガリッチ氏は米国の天文学者、30年かけてコペルニクス「回転について」の初版本を調査 した。一つの著作に残された書き込みの跡を通じ、コペルニクスに続くブラーエ、ケプラー、ガリレオなどの、科学革命の時代を彩った天才たちがどのように影響しあっていたのかを探る。

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16世紀最高の科学書

 

 

1543年春、ヨーロッパは騒乱状態にあった。ドイツ諸侯は、老いゆくマルティン・ルターからプロテスタントの旗印を受け継いで改革運動を推進し、ヨーロッパは今にも戦火に包まれようとしていた。そんななか死の床にあったニコラウス・コペルニクスのところに・・・16世紀最高の科学書の冒頭部分で、本の扉を飾る題名は「天空の回転について」だ。(21ページ)

 

天空の回転は何冊印刷されたか?

 

 

(ギンガリッチ氏の調査書では)「回転について」の初版276冊、第二版325冊について解説している。・・・初版が400~500部、第二版が500~550部印刷されたことになり、もと多く印刷された(ニュートンの)「プリンキピア」の残存率とも一致する。もし私の見積もった印刷部数が正しいとすれば、当時印刷された数の半分以上が今も残っていることになる。(172ページ)

 

科学と宗教

 

 

ガリレオが聖書解釈の領域を侵そうとしているのならばと、バチカンは、コペルニクスの本を発禁処分にすることによって、誰に権威があるのかを万人に知らしめることにした。・・・「回転について」は太陽と月の観測データも含まれており、これが教会にとって役に立ちうるので、この本を即刻禁書にするのは賢明でない。・・・唯一の方法は、この本があくまで仮説として受け止められるべきであるのが明白そのものになるように何カ所か変更を加えることだった。・・・第1巻第11章の表題「地球の三様の運動についての解説」は、「地球の三様の運動についての仮説とその解説」に変更されている。(191ページ)

 

時代背景~訳者あとがきより

 

 

コペルニクスは1473年に生まれた。日本で言えば、応仁の乱の真っ只中、下克上の世が幕を開けたころだ。ヨーロッパもその後、宗教改革が始まり、騒乱の時代を迎える。またコロンブスやマゼランなどの活躍で、大航海時代に入る。「回転について」が刊行され、コペルニクスが亡くなった1543年は、戦国時代の日本の鉄砲が伝来した年で、徳川家康は生まれたのがその前年だ。(358ページ)

 

コペルニクスの科学革命

 

コペルニクスは地動説を唱えた。最近の研究ではコペルニクス以前にもイスラム世界も含め地動説を唱えた学者はいたとされる。グーテンベルグの印刷革命が15世紀半ばである、コペルニクスは地動説を最初に印刷した人と表現できる事は正しい。第1版、第2版併せて推定900~1050部、そのうちの半数以上が現存する。知識は、そして印刷された本は世界を変える力=権威がある事が明らかになる。同様に宗教は世界の変化を追認する事で権威を創り出そうとしている事も分かる。

ギンガリッチ氏は30年かけて現存する初版276冊、第二版325冊を追いかけて世界を調査した。470年経過して599冊、これだけ残存している事はこの599冊が世界を変えた証拠でもある。

蛇足

 

「回転について」の当時の価値は大学教授の年俸の1%分。

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