毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

1500年前最初に日本にやってきた仏像をイメージしてみる~マーケティングツールとして

仏像鑑賞入門 (新潮新書)  島田氏は宗教学者、「すぐれた仏像に親しむことは、現代日本人の「特権」である。」

 

6世紀の仏教伝来~欽明天皇は仏像に圧倒

「日本書記」では、百済聖明王が家臣を遣わし、釈迦仏の金銅仏一躯、幡蓋(はたきぬがき、装飾)、経論など(仏教を公式に)を伝えたとされている。「日本書記」の記述によれば、その時欽明天皇は大いに喜んで、群臣たちに対して「西蕃の献れる仏の相貌端厳し」(西の隣の国から奉られた仏像の顔は荘厳であった)と語ったとされる。もしこれが事実であったなら、天皇は、仏像を初めて見て、それに大いに感激した事になる。事実ではなかったとしても、初めて渡来した仏像に接した日本の人間はその洗練された美に圧倒されたのではないであろうか。(35ページ)

 

 当時は金箔で燦然と光輝いた(はず。)

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鍍金、像高31.4飛鳥時代(7世紀)N183法隆寺献納宝物

東京国立博物館 - コレクション 名品ギャラリー 館蔵品一覧 観音菩薩立像(かんのんぼさつりゅうぞう) 

 

東京国立博物館の「法隆寺宝物殿」には、法隆寺から皇室に献納された宝もの300点あまりが収蔵され、展示されているが、そのなかに多くの金銅仏が含まれている。どれも、それほど大きなものではなく、高さ30センチほどだが、欽明天皇を感激させたのは、そうした金銅仏だったのではないだろうか。(中略)日本仏教は、インド仏教と異なり、あるいは中国仏教とも異な仏像から出発した。日本人は、仏教の教えに引かれて、それを受容したのではなく、仏像というものに魅力を感じて、外来の宗教を受け入れようとしたのである。(36ページ) 

仏像の誕生は画期的、そしてそれはずいぶん後の出来事だった

紀元前5世紀に仏陀が悟りを得て、その後仏像が誕生するのは時代が500年以上下った、仏教が宗教として確立した後である。島田氏は以下の様に説明する。

仏像となると、その姿形を変えたり、持ち物に変化をもたせたり、印相を異なるものにする事によって、多種多様な仏を表現できる。多種多様な如来や菩薩による救済を説く初期の大乗教典が編纂されるようになった時代と重なっていた。

  仏塔なら、ブッダ、つまりは釈迦仏そのものしか表現できないが、仏像なら、釈迦仏だけでなく、弥勒菩薩でも、観音菩薩でも、何でも表現する事ができる。仏像という存在が生まれる事で仏教の世界は一挙に広がりを見せる事になった。(26ページ)

  

我々は仏像が仏教では当たり前、と思っているが初期仏教では、あるいは日本以外のインド、中国などでは違った経緯をたどってきており、必ずしも常に仏像と仏教がセットだった訳ではない事を知る。日本は仏像をとして初めて仏教を知った。

 蛇足

仏像は圧倒的なインパクトを持つ、仏教を表現するマーケティング・ツールだった。