毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

思考停止に気付く、このセリフ~『 叡智の断片』池澤夏樹氏(2011)

 叡智の断片 (集英社文庫)

 池澤氏は小説家、独自の視点で選んだユーモラスで味わい深い言葉の数々は、今を生きる私たちの心にじわりと効く妙薬。(2011)

 

中絶と死刑

ブッシュ大統領は中絶には反対で死刑には賛成なの。釣りでいうキャッチ・アンド・リリースね。大きくなってから殺すために小さいのは放してやるわけ。

                 エレイン・ブースラー(米・コメディエンヌ1986)196ページ

 

 

叡知の断片

米国では中絶、死刑が大きな政治上の論点になる。宗教的な理由も大きい。中絶も死刑も無い方がいいに決まっている。紳士・淑女が軽々しく話題にしない方がよいテーマである。

ブースラー女史のセリフはコメディの域を超え、考えさせる。死刑と中絶を比べることで、国家と人間の生命の関係という本質を考えさせられる。そして今までこのことに正面から考えていなかったことに思い至る。

我々は日々考えずに行動している。ブースラー氏のセリフはそのことを教えてくれた。

蛇足

思考停止から解き放つもう一言、

銀行を創設する奴に比べたら、銀行強盗なんてケチな犯罪者だ

ベルトルト・ブレヒト(独・劇作家1928)

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お金だけでは未来は作れない~『 ブーメラン 欧州から恐慌が返ってくる』M・ルイス氏(2012)

 ブーメラン 欧州から恐慌が返ってくる (文春文庫)

サブプライム危機で大儲けした男たちが次に狙うのは「国家の破綻」。アイスランドアイルランドギリシャ、ドイツ、そして日本。(単行は2012、文庫は2014)

 

元々アイスランドは豊かだった

(漁業によって経済発展するために)めざすべきは、漁業にもっと多くの網や、もっと大きな船を買わせることではない。最小の努力で最大の漁獲高を得させることだ。・・・アイスランド政府は思い切った行動に出た。魚を私有化したのだ。漁業ひとりひとりに、過去の実績を参考にした水揚げ高が割り当てられた。・・・さらに都合のいいことに、漁をしたくなければ、自分の権利を、漁をしたい人間に売ることができた。水揚げ高は、最も地位の高い大手の漁師たち、つまり最大の効率で水揚げできる漁師たちの手もとに流れ込んだ。・・・新たな富みがアイスランドを変貌させ、千百年のあいだ隔絶されていた孤島が、(世界的なポップアーティストである)ビョークを生み出す国へと変わったのだ。(64ページ)

・・・アイスランドの若者たちは、留学費用が支給され、自分が興味を持つあらゆる分野で、教養を身につけることが奨励された。漁業政策による構造改革のおかげで、アイスランドは事実上、鱈(タラ)を博士号に変換させる機関になった。・・・距離を置いてアイスランド経済を眺めてみると、とても不自由な現象に気付かずにはいられない。国民が身につけた教養のレベルが高すぎて、実際に就く職業の適正と噛み合わないのだ。高度な教育を受け、知的に洗練されていて、各々が自分特別な存在だと思っている人々に、生業としてあてがわれるのが、労働条件の悪さが目立つふたつの職業、つまり、トロール漁と(易い電力を活かした)アルミニウム精錬なのだから、、、。・・・21世紀の夜明けになっても、アイスランド人たちは相変わらず、もっと自分たちの繊細な知性に見合う仕事がアイスランド経済の内部に現れる日を、そしてその職に就ける日を、待ち続けていた。そこへ、投資銀行業が登場する。(67ページ)

2003年、アメリカ型の金融を始める

アイスランド人たちは、金融とは生産的な企業活動より仲間同士の紙切れのやり取りを重視するものであることをただちに理解した。そして、金を貸すときには、ただ企業活動の援助をするだけでなく、友人や家族に資金を提供して、ほんものの投資銀行並にさまざまな資産を購入し、所有できるようにした。・・・それがアメリカ型の金融からアイスランド人が学んだ最大の知恵だった。重要なことは、右肩上がりに価値を高めていく資産を、借りた金で可能なかぎり多く買い集めること。2007年には、アイスランド人が所有する外国資産は2002年のおよそ50倍になっていた。(45ページ)

アイスランドのその後

アイスランドは2008年の金融危機以前、反映を謳歌していた、一人当たりGDPでは世界第5位、に国際競争力はヨーロッパ1位であり、人口30万人ながら強い経済力を持っていた。2006年当時産業としては金融部門の伸びが著しく、金融不動産GDPに占める割合は、26%に達していた。

アイスランドの金融は急拡大した。世界的な資産価値の上昇を背景に、借りた金で世界中の資産を買い漁った。資産価格の上昇が続いている間は儲かっているように見えていた。金融危機により今度はそれが逆回転した。

2009年アイスランドのすべての銀行は国営化、不良債権は国家に付け替えられた。その結果アイスランドの通貨は100%減価、国家破綻寸前に至る。その後通貨安に助けられ輸出と観光により持ち直し現在に至っている。

漁師たちは投資銀行家になった~ブーメラン

どうしてアイスランドが金融に傾倒していったか?高度な教育を受けた若者の知的好奇心を満足させるだけの産業がアイスランドには無かった。金融は知的好奇心を満足させられる産業に思えた、ということである。

この状況は日本を含む先進国共通の課題であろう。基本的に衣食住の問題が解決し従来型の産業の成長が鈍化する中、知的産業へのシフトが求められている。しかし新産業育成には時間がかかる。アイスランドと同じである。

我々の課題は次世代の為に新しい産業を用意することである。

蛇足

未来はお金だけでは作りだせない

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我々の社会は未だ直系家族的であった~『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層 』鹿島茂氏(2017)

エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層 (ベスト新書)

 鹿島氏はフランス文学者、あらゆる問題は、トッドの家族システムという概念で説明ができる!(2017)

 

トッドの家族人類学理論

・・・結論から先にいうと、トッドの家族人類学理論の勘どころは、従来、家族の分類としては核家族と大家族(夫婦が2組以上同居する複合家族・拡大家族)という区別ポイント(変数)しかなかったところに、兄弟間の遺産相続という問題に注目して、兄弟の平等・不平等というパラメータを配した点です。(23ページ)

 

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https://mainichi.jp/articles/20160229/ddf/008/040/031000c

私がトッドに興味を持ったきっかけは「集団の無意識」というものへの関心からでした。・・・資本主義が発展していくと、(集団の)眠りは深くなり、集団はそのなかで夢をみる。それは集団の無意識としてさまざまな形態となって現れる。たとえば、パサージュ 、万博会場、鉄道駅あるいはモード、広告など。だから集団の無意識」を解き明かすには、こうした夢の形象について考えなければならない。・・・(最終的に)たどり着いたのが人口動態学でした。人口にこそ集団の無意識が最も強く現れていると確信・・・トッどに行き着いたわけです。・・・家族類型、女性識字率、といったトッドの提示する概念こそが人類の無意識を解く最も重要なパラメータだと今は思っています。(35ページ)

集団をつくると直系家族的組織になる日本人

日本人は集団をつくると必ず直系家族的な構造にしてしまいます。後からそうした集団に入る人間は、すでに構造ができあがっていますから、合せていかなくてはなりません。この「後から入った」という感じがすでに直系家族原理に無意識にとらわれている証拠です。会社では「きみ、何年入社?」「ぼくと同期?」というような会話がしばしなされます。(82ページ)

明治維新と直系家族的組織

国家を統一し、政治を長く安定させていくためには、よく統率された組織が必要となる、と彼ら(明治維新の指導者)は考えたのでしょう。そのためには、直系家族的なタテ一本の構造をつくり、その頂点に、権威ある父親的な存在(としての天皇)を置かなければならない、と考えたのです。(167ページ)

直系家族的組織の欠点

直系家族では父親に権威があるということになっています。しかし、この権威ある父親はほとんど主体的な意思決定を行わないのです。・・・権威者である父親の意をくんで、はやりの言葉でいえば「忖度して」、それぞれの成員がその意を実現する方向に向かって一斉に行動するのです。・・・このような意思決定者の不在、意思決定機関の不能という事象は、いま現在の日本でも至るところで目にすることができます。(178ページ)

 

エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層

どうしてフランス文学の鹿島氏がトッドを研究していたのか?元々集団の無意識に関心があり人口動態学に行き着いたと知り、合点がいく。

日本では核家族化し直系家族的組織の影響は薄くなっている、と思っていた。大企業では年功序列という直系家族的組織を残しつつも、どちらかと言うと批判的に捉えられ、社会全体としては直系家族的組織の行動は薄くなりつつある、と思っていた。考えてみれば学校までが直系家族的組織で運営されており簡単にはその影響は無くならない。鹿島氏は直系家族的組織と意思決定能力の欠如が加わったときのリスクにも言及する。

核家族化が進んだとしても、社会全体としてみれ直系家族的組織の影響が大きく、大きなリスクを内包している、と気付く。

蛇足

直系家族で権力を持っているのは妻

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全知全能の神は人間を理解できるか?~『神は沈黙せず』山本弘氏(2003)

神は沈黙せず

 この世界は、人類は「神」と呼ばれる知性体のシミュレーションなのではないか?(単行は2003、文庫は2004)

 

本書はSF、ネタバレになるのでストーリー等は割愛します。本書では全知全能としての神と人間の関係、AIを作った人間とコンピュータ、あるいはAIとの関係の相似性についての説明がある。

人間とコンピュータあるいはAI

コンピュータは人間と何から何まで違っている。血の流れる肉体も、種族維持の本能も持たない。・・・その反対に、毎秒何兆回もの演算をこなすというのはどういう感じなのか、人間には想像もつかない。コンピュータが知性を持つとしたら、人間のそれとはまるで異質なものになるのは間違いないだろう。だから(人間の知性に立脚した)チューリングテストは知性の判断基準にはならない。(170ページ)

神と人間

・・・神は天や地や人間や動植物を創造したかもしれないが、だからと言って尊敬に値しない存在である・・・神には人間に対する優しさや思いやりが根本的に欠落している・・・なぜなら神は人間ではないからだ。全知全能ではあるが、たったひとつ、人間の苦しみや悲しみを理解し、同情の念を抱くことだけはできないのだ。

それは死すべき肉体を持つ人間だけが理解できることだから。(492ページ)

神は罪を犯さないか?

神が全能であるなら、欲望に負けて衝動的に悪事を働いたり、間違って罪を犯してしまうことはあり得ない。・・・神が全能であり、自由意志があるなら、神には罪を犯す能力も、罪を犯す意志もあるはずではないか。「神は罪を犯さない」という考えは、神の全能性を否定するに等しい。(121ページ)

 神は沈黙せず

西洋圏では神の全知全能についての神学的あるいは哲学的解釈については一般的なのかもしれない。私は本書で初めて神の解釈をめぐる議論の一部を知ることとなった。

全知全能の神と人間、それぞれの存在が違い過ぎてお互いに本質的な理解に至ることはない。仮に“神が沈黙ぜず”に人間に対しメッセージを与えているとしても我々がメッセージを理解することはおそらくできない。それはコンピュータあるいはAIが本質的に人間を理解できないのと同様である。

神にも、コンピュータにも頼ることのできない人間は、不合理なことのある世界でどうすればいいのか?

本書で「自分が間違っている可能性を探すこと。それが道を誤らないための唯一の方法です」(280ページ)というセリフがある。人間は、あらゆる権威に依存することなく、自ら道を切り開らいて生き残ってきた。

蛇足

神は沈黙せず、人は神の言葉を理解する必要はない。

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太陽がある限り進化は終わらない~『情報と秩序:原子から経済までを動かす根本原理を求めて』C・ヒダルゴ氏(2017)

 情報と秩序:原子から経済までを動かす根本原理を求めて

セダルゴ氏は複雑系経済学の研究者、経済成長とはそもそも情報成長のひとつの表われにほかならない(2017)

情報とは

・・・本来情報は物理的なものだ。・・・確かに、情報は触れない。固体でも液体でもない。情報の粒子があるわけでもない。それでも、同じく固有の粒子を持たない運動や温度と同じくらい物理的なものだ。情報は実体を持たないが、いつでも物理的に具象化されている。情報はモノではない。むしろ、物理的なモノの「配列」、つまり物理的秩序といえる。たてるなら、一組のトランプを様々な方法でシャッフルした状態と同じだ。(20ページ)

地球は非平衡

地球は平衡に向かってまっしぐらに突き進む巨大な系―つまり宇宙―の内部にぼっかりと存在する、非平衡のポケットだからだ。実際、地球はいかなる平衡にも近づいてこなかった。地球の核の内部で起きている核崩壊と太陽のエネルギーが、地球を平衡から引っ張り出し、情報が生まれるのに必要なエネルギーを与えている。いわば地球は、宇宙という不毛の荒野のなかにある小さな情報の渦なのだ。(60ページ)

情報の成長

私たちの宇宙はいくつかの秘策を用意している・・・「非平衡系」、「固体での情報の蓄積」「物質の持つ計算能力」だ。人体や地球のように、情報がひっそりと身を隠せて成長していけるような小さな島やポケットのなかでは、この3つのメカニズムが連動して情報の成長を促している。

つまり、物理、生物、社会、経済のあらゆるものの成長の方向性を決めるのは、情報の蓄積、そして人間の情報処理能力の蓄積なのだ。・・・生命の誕生と経済の成長、複雑性の出現と富の創造をひとつに結ぶもの―それが情報の成長というわけだ。(26ページ)

経済成長とは何か?

・・・私たちが必死で解決しようとしている社会や経済の問題は、いかにして人間のネットワークに知識やノウハウを具体化するか、という問題なのである。そうすることで、私たちは人類の計算能力を進化させ、最終的には情報を成長させているのだ。つまり経済の本質である情報の成長は、人類が持つ集団レベルでの計算能力と、(人間の)想像の結晶(たるモノ)がもたらす増強効果との共進化によって生まれる。(230ページ)

 

情報と秩序

宇宙はエントロピーが増大し混沌に向かっている。しかし地球は太陽エネルギーによって一貫してエントロピーが減少、秩序が維持されている。著者は経済活動も生命活動も秩序がより整理され、複雑な構造が生じていく方向に変化していくと言う。その中心にあるのは情報であり、情報を閉じ込めた物理的な固体である。一人の人間が保持できる情報の量は限られているなか、多くの人がネットワーキングすることで集団としての情報処理能力は上がっていく。

この説明に従えば、経済成長は情報の交換スピードと交換対象をどうやって高めるか、これを一定期間継続できる主体の存在、ということになる。情報レベルで捉えると、地球、国、企業、家庭、様々なレベルでの集団の拡大は同じパターンで説明がつきそうである。

蛇足

太陽エネルギーを受容している限り、地球は進化を続ける

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そもそもビジネスとは冒険の旅、である~『 ザ・会社改造 340人からグローバル1万人企業へ』三枝 匡氏(2016)

 ザ・会社改造 340人からグローバル1万人企業へ

 上場企業のCEOに就いてから12年間もの長期にわたり実行した「会社改造」すなわち「改革の連鎖」を追っている。社員わずか340人の超ドメスティックな商社が、いまやグローバル1万人に迫る、世界で戦う企業に転換するためには何が必要だったのか。(2016)

40歳から事業再生専門家へ

私は20代から一貫してリスクをとり続け、時代を10年か20年、人より先取りする職業に挑戦し続ける生き方をしてきた。もちろん、そのなかには失敗作も含まれている。(12ページ)

40歳に到達した時点で、戦略コンサルタント、事業会社2社の社長、ベンチャーキャピタル会社社長という経歴を積んでいた。・・・日本で「ターンアラウンドスペシャリスト(事業再生専門家)」を名乗ったのは私が最初だと思っている。・・・当事者が追い詰められ、ギブアップしかけている事業をどうすれば元気にできるのか。その窮状から救うことを、職業に選んだのだ。依頼を受けた会社の副社長や事業部長に就任し、会社の内側から改革を推進するという仕事のスタイルだった。(14ページ)

ミスミの経営を引き受ける

・・・私はミスミの経営を引き受けることになる。就任後にミスミで数多くの改革を実行した。そのひとつひとつが苦難の連続だった。結果的に、CEO在任12年間で、ミスミは「会社改造」と呼べるほどの変貌を遂げた。(11ページ)

私は在任12年間でミスミのCEOから引退した。売上高が就任時の500億円から2000億円に近づき、340人だった社員数がグローバル1万人を視野に入れたところで、個人的にはまだ元気いっぱいだったが自分の役割を終わらせることにした。(439ページ)

本書をなぜ書いたのか?

私がミスミの社長就任を断り、別の会社でCEOを引き受けていたら、そこでも大きな改革を実行し、その経験をCEO退任後に出版した可能性がたかい。その場合、その本と本書のいずれを読んでも、読者が学びとる理論はかなり重複するだろう。「どこの会社に行っても同じ」。それが経営や戦略の「普遍性」である。(24ページ)

ザ・会社改造

三枝氏はミスミのCEOとして改革と大きな成長を達成した。その背景にはグローバル企業が経営スピードを上げているのにミスミが日本社会に適合してきた故に低成長に陥る大きな危険性に直面していたからである。

三枝氏は「難しい任務に自ら近づいていってジャンプすることが、人生の学びを極大化してくれる」(412ページ)と常に言っているそうである。本書は三枝氏の12年に渡るジャンプの連続の記録であり、またミスミという会社に関わった人々のジャンプの記録でもある。

そもそもビジネスとはチャレンジであること、を思い出させてくれる。

蛇足

本書はビジネス書の名を借りた冒険ストーリーである。

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日常生活に意識は要らない~『ハーモニー 』伊藤計劃(2010)

 ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

 本書はSFフィクション、21世紀後半、〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、 人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。 医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、 見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア"。(単行は2008、文庫は2010)

 

帯に「理想郷に倦んだ少女たちは、世界の終りを夢見た」。人間が理想郷に住む時、何を感じるのだろうか?本書では人間の報酬系を制御する脳の機能のモデルがストーリーを支えてる。(ストーリーは触れていませんが、“ネタバレ“注意)

人間の意志とは会議のようなもの

・・・人間は、この報酬系によって動機づけられる多種多様な欲求のモジュールが、競って選択されようと調整を行うことで最終的に下す決断を、『意志』と呼んでいるわけだ。・・・いろんな人間がアレやりたいコレやりたいとそれぞれの求めるものを主張し合い、煮詰めて調整し、結論を出す。人間が持ついろいろな『欲望のモジュール』てのが、その会議二参加して自分の意志を主張するひとりひとりだと思ってくれ。・・・そうやって侃々諤々の論争を繰り広げる全体、プロセス、つまり会議そのものを指すんだ。意志ってのは、ひとつのまとまった存在じゃなく、多くの欲求がわめいている状態なんだ。(170ページ)

もし参加する者の意見が一致していたら?

会議に参加する者の意見がすべて同じで、相互の役割が完璧に調整されていれば、会議を開く必要そのものがない。・・・完璧な調和を見せた状態とは、すなわち意識のない状態であるということが実験の結果わかった。・・・調和のとれた意志とは、すべては当然であるような行動の状態であり、行為の決断に際して要請される意志そのものが存在しない状態だと。完璧な人間という存在を追い求めたら、意識は不要になって消滅してしまった・・・(264ページ)

ハーモニー

全員の意見が一致する社会、完璧にハーモニーのとれた社会、そこには人同士の争いは存在しない。それではその時人は意識を持つと言えるのだろうか?

この極端な想定から日常生活の倦怠が浮びあがってくる。予定調和の比重の大きな社会であればあるほど意識を使う必要がない。日常生活は自動操縦できてしまうのである。意志を必要としない自動操縦できるが故に楽なのである。意識を必要としないことが悪い、のではないであろう。それでは永遠に意識を必要とする事態に直面しないでいいのであろうか?

完璧なハーモニーという極端な想定が、大きな問題に気付かされてくれる。

蛇足

人は自動操縦だけでは満足できない

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