毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

「それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない。」の小説を知っていますか?~『アデン、アラビア』ポール・ニザン(1936)

アデン、アラビア/名誉の戦場 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-10)

 ポール・ニザン(1905-1940)はフランスの小説家、老いて堕落したヨーロッパにノンを突きつけ、灼熱の地アデンへ旅立った二十歳。憤怒と叛逆に彩られた若者の永遠のバイブル。(原著は1936)

 

20歳という時

僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない。何もかもが若者を破滅させようとしている。恋、思想、家族を失うこと、大人たちのなかに入ること。この世界の中で自分の場所を知るのはキツイものだ。(5ページ)

ヨーロッパ人にとっての東洋

まさにこのヨーロッパから僕たちは自由にならなければならなかった。そしてよそには、僕らの途にはない力や徳や知恵を備えたほかの大陸が横たわっていた。…僕らの結論には何の意味をなかった。東洋は、西洋とはまるっきり反対のものだという考えに慣らされていたからだ。つまり、ヨーロッパの没落と腐敗が火を見るよりも明らかなとき東洋の復活と繁栄はきわめて当然のことと思われていたのだ。東洋はヨーロッパ人の救済と新生を内にひめた土地であった。(25ページ)

アデンに行く

つまりアデンは、僕たちの母なるヨーロッパのぎゅっと凝縮されたイメージなのである。ここは圧縮されたヨーロッパなのだ。縦5マイル横3マイルという流刑地のように狭い空間に寄り集まったヨーロッパ人は、西洋の地において生活を形作るさまざまな線や関係がより大規模に構成するデッサンを、驚くほど正確に複製していた。日出づる方が日沈む方を複製し、注釈を加えているというわけだ。(70ページ)

再びヨーロッパで考えること

僕はいま恐怖から完全に開放されるために戦いを挑む立場にある。ようやく平穏で遠く離れた場所に来ることができたと思っていたときに、この恐怖が矢のようにアラビアにいる僕にまで達したのだ。逃げても無駄だ。僕はここ(憎悪すべき体制)にとどまる。戦えば、恐怖は消える。(128ページ)

アデン

 

古くから欧州とインドを結ぶ通商の要衝として注目され、16世紀にポルトガルオスマン帝国を支配、その後はエジプトの支配をへて、イギリスが1839年から海軍基地を置きインド支配のための船舶を海賊から守った。

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アデン - Wikipedia

どうしてこのフレーズが記憶されているのか?

ポール・ニザンは1926年、アデンに家庭教師の口を見つけ、フランスから半年旅行する。フランスの小市民的な世界に辟易しながら、アデンで見たものはフランスの縮図であった。彼は現実で闘うことを決意し、1927年フランス共産党に入る。当時共産思想は資本主義の矛盾が拡大するなかで今以上に輝きをもっていたのであろう。

「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない。」という冒頭のフレーズが有名である。多くの人にとって、20歳というのは人生でもっとも美しいときなのであろうか?ポール・ニザンが本書を執筆した1931年、26歳だった。第一次世界大戦を経たヨーロッパの閉そく感には驚かされる。彼は闘おうとしていた。ポール・ニザンが資本主義を批判する。しかし今となっては本当に何と闘っていたか、現実感を持つのは難しい。

それではどうしてこのフレーズが記憶されるのか?世の中に対して不満をもたなくなった時、世の中を変えたいと思わなくなったとき、人は単純に若さを美しいと称賛するのかもしれない。それは老いていくことの別表現ではないか。

蛇足

 

世界はすべてが完成されてはいない。

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