毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

50年後の究極のディスプレイを想像できるか?~『魔法の世紀』落合陽一氏(2015)

魔法の世紀

 落合氏はメディアアーティスト、アートとテクノロジーの変遷から未来を切り取る。(2015)

 

1965年、サザランドが構想した究極のディスプレイ

究極のディスプレイは、コンピュータが物体の存在をコントロールできる部屋になる。椅子が表示されれば座れるし、手錠を表示すれば誰かの自由を奪い、弾丸を表示すれば命を奪う。適切なプログラミングを用いれば、そのようなディスプレイは文字通りアリスが歩いたような不思議の国を実現するだろう。(36ページ)

究極のディスプレイはリアルワールドと一体化

「魔法の世紀」という視点でサザランドが重要なのは、「創造性」や「リアリティ」のような、いかにも人間的な領域とされたテーマを、コンピュータの補助によって巧妙に扱えるようにして、現実の解ける問題として捉えたことです。サザランドは、人間の価値観をアップデートしうる技術がコンピュータによって可能になることを示した、最初の人物だと解釈できます。・・・それは、究極的には物体の存在そのものをコントロールできる部屋を生み出すという壮大な思想にまで繋がっていました。(43ページ)

デジタルネイチャー

僕の考えるデジタルネイチャーとは、ユビキタスコンピューティングとプリンティングテクノロジーによって再構成され、人間がコンピュータを操ったり、コンピュータが人間を操作したりする自然のことです。・・・その背景には、世界の構成要素である物質や、そこに作用する場などの性質が、コンピュータでかなり精密にコントロール可能になりつつあるという技術的なブレイクスルーがあります。(184ページ)

ひとまず人間とコンピュータの上にデジタルネイチャーというスーパーセットを作って、両方とも横並びのサブセットにしてしまおうというわけです。いわば敵対している人間とコンピュータという二つの会社を合併させて、デジタルホールディングスの子会社にしたようなものです。(199ページ)

魔法の世紀

本書でも引用されている様に、1973年SF作家アーサー・C・クラークは、「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」と説明した。

既にコンピュータは次元のディスプレイにバーチャルな世界を映し出すことには成功し、更にiPhoneのディスプレイは世界の隅々にまで入り込んでいる。落合氏は現在の2次元ディスプレイはサザランドのコンセプトの第一段階として構想されたものであり、これから究極のディスプレイが実現するという。その時、コンピュータと人間というのは対立構造ではなく、融合し魔法の世紀に到達すると表現する。そこでは我々は物質という制約をはずれる。

サザランドの構想から約50年,iPhoneの登場でその第一段階が終わったとすれば、これから50年かけて究極のディスプレイ=物質の制約を外れる世界への変化を目撃することになる。

蛇足

人間にしかできないこと、こだわること

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