ヒトは長い寿命を何の為に使うのか?~『人間にとって寿命とはなにか』本川達雄氏(2016)
人間にとって寿命とはなにか (角川新書)
本川氏は長年にわたりナマコを研究、ヒトは本来40歳が寿命であり、現代人は膨大なエネルギーにより生かされている「人工生命体」だ。(2016)
私とは何か
私というものは、ふつうに私だと見做しているようなものを核として、その周りにじわーっと時空を通して広がって周りと関係を結んでいるものであり、関係を結んでいる相手も私の一部を構成しているのだから、相手を尊重することが自分自身を尊重することにもなる、そして関係を結ぶ相手とは多様なものだから多様性が大切なのだ、ということでした。(117ページ)
原子論的な個人
社会を構成する基本のものが「原子論的な個人」の見方で、これは分子が自由に空間を運動している分子論そっくりです。まわりからの何のしがらみもなく、自分の好きなことを自由に追求しているのが好き好き至上主義の社会であり、こういうものを理想としている私たち現代人は、物理的粒子論にきわめて大きな影響を受けているのです。(119ページ)
ヒトの寿命は40歳
われわれヒトは40代で老いの兆候が出てきます。15億回心臓が打つと哺乳類は死ぬと述べましたが、15億回心臓が打つと、ヒトの場合では41.5歳です。40代といえば、老眼が出る、髪の毛も薄くなる、女性の場合は閉経も来ます。ここらあたりがわれわれの、生物としての寿命ということになるのでしょう。(235ページ)
寿命を過ぎたら、
現役時代の役割は自分の子孫を増やすことです。だから自分のことや自分の子孫のみの存続を考え、それを可能にする収入を得るために自分の仕事や会社の事だけしか考えません。きわめて利己的で近視眼的です。それでいいのです。そいう制約から自由になり、社会全体や将来のことをより広く考えられるのがおまけ世代です。・・・おまけの部分は「広い意味での生殖活動」に従事すればよいと私は考えています。生物にとっては生殖活動が最も重要なこと。生殖活動ができなくなったからこそのおまけなのですが、そこを逆手に取り、おまけの部分は、自分だけでなく、すべての次世代のために働こう、それを「広い意味での生殖活動」と呼ぼうと思います。(247ページ)
人間にとって寿命とは何か
我々は原子論的な自我の利益を最大化するべく行動するよう刷り込まれている。生物としての利益最大化は生殖であり、原子論的な個人としてエネルギーをつぎ込む。生物学的に寿命に達し、生殖時期を終えたヒトは何をすべきか?著者はすべて次世代のために働こう、という主張をする。それは私の範囲を自分から子供、孫といった時間軸と空間方向に拡張することと同じ意味であろう。
ヒトはエネルギーを多用することで生物としての繁栄を気づいてきた。ヒトは“おまけの時間”とエネルギーを使って、より広い世界がより豊かになることに働きかけることができる。生物として寿命が長くなるヒトは、長くなった寿命をどう使うか、考える必要がある。
蛇足
自我と他者の境界線はあいまい
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