毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

40年の生物学者から学ぶ、人は好きでないものでも尊敬できる能力がある証拠~『生物多様性 ~ 私から考える進化・遺伝・生態系』本川 達雄 氏(2015)

生物多様性 - 「私」から考える進化・遺伝・生態系 (中公新書)

本川氏は動物生理学野研究家、 地球上には、わかっているだけで一九〇万種、実際は数千万種もの生物がいる。その大半は人間と直接の関わりを持たない。しかし私たちは多様なこの生物を守らなければならない。それはなぜなのか―。2015年刊

どうして多様な生物がいるのか?

 

 

(生命を)続いていくために「私」の多様性をある程度認めてしまおうとする生物の戦略が、はからずも種の多様性を生み出す結果となり、へたをすれば新しく生じた種に滅ぼされることにもなったからです。(234ページ)

 

実は「私」は輪郭がぼやけている

 

 

本書で提案したいのは、空間の上でも時間の上でもまわりとは切れてはおらず、次世代や環境という時間的空間的なまわりを取り込んだ「私」感です。まわりとの境界がはっきりせず輪郭がぼやけているのですが、それだけ広い範囲を含むものです。(233ページ)

 

40年間ナマコを研究して

 

 

役にたたず、可愛くもなく面白いところなどさっぱりなく、不可解な上にきわめてグロテスクというしろものと、40年付き合ってきました。付き合ってだんだん分かってきたことは、動物とはこういうものだというわれわれの常識がナマコにはまったく通用せず、彼ら独自のやり方があるということです。・・・彼らはわれわれとはまったく異なる独自の素晴らしい世界をもっていることが分かってきました。ついには、ナマコはすごいなあと尊敬できるようになったのです。とても付き合えないと感じたものを、尊敬できるところまで持っていくのが、この40年の動物学者人生でしたね。それでもまだナマコは可愛いとは思いませんし、好きにもなれません。好きでなくても尊敬することはできるのです。(265ページ)

 

多様性の中には私の嫌いなものも含まれる

 

生物の多様性の中には感覚的に好きになれないものもいて当然である。更に言えば「私」という定義を時間的にも空間的にも拡張すれば「私」の中にすら嫌いな部分がある。本川氏は「とても付き合えないと感じたものを、尊敬できるところまで持っていくのが、この40年の動物学者人生でしたね。」と言う。本川氏は言い換えれば「好きになる必要はない」と言っているのである。人は好きではないものでも尊敬する事、慈しむ事ができる存在なのである。

ほっと、肩の荷を降ろす

 

生物多様性を否定する人は居ないであろう。「好きでない」ものの存在を認める事である。そしてそれは「好きでない」ものと付き合って行かなければいけない理由もないし、付き合ったとしてもいつかは「尊敬できる」と感じる事ができる事を伝えてくれる。私は、ほっと、肩を降ろして解放感に浸る。

蛇足

 

自分の好きではない事は何か?

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