毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

数直線は実在するのか?~『無限」に魅入られた天才数学者たち 』アミール・D・アクゼル氏(2015)

「無限」に魅入られた天才数学者たち (〈数理を愉しむ〉シリーズ)

  アクゼル氏はサイエンス・ライター、数学に無限は付きもののように思えるが、では無限は数なのか? 数だと言うならどのくらい大きい?(2015、原著は2000) 

 f:id:kocho-3:20150926174256p:plain

数直線

直線上に数を乗せたものを数直線という。数直線上には整数だけでなく分数も乗せることができる。0と1のあいだには1/2、1/4、1/5などの分数が、1と2の間には1+1/2、1+1/4などの分数が乗っている。それ以外の分数、たとえば358/719などを数直線上に乗せるのも簡単だ

しかし、本当の“長さ”、線というものの“実質”は、こうして数を数直線上に押し込んだだけでは生じない。なるほど、すべての分数と整数(つまり全“有理数”)を押し込めば、数直線上には無数の数が詰め込まれたことになるだろう。だがそうなってできたものは、無数に穴のあいた目の粗い篩(ふるい)のようなものでしかない。そこに線としての実質はないのだ、数直線に真の構造を与えるために無くてはならないのが“無理数”なのである。無理数なしには、われわれが手にする「線」は無数の点の集まりにすぎない。それはぎっしりと詰まってはいるけれども、つながった線ではないのだ。(119ページ)

 有理数無理数

原点から出発する直線を引く。この直線が原点から無限大に伸びているとして、どれか一つの格子にぶつかれば、この直線の傾きは有理数である。(例えば円周率πのように)一つの格子点にもぶつからなければ、直線の傾きは無理数である。(129ページ)

宇宙は連続しているのか、離散的なのか?

物理学においては、宇宙の広がりを考えるときに無限という概念が実体化する。宇宙は有限なのだろうか?それとも無限に広がっているのだろうか?この問いへの答えは知られていない。物理学者たちは、物理空間はどこまでも分割できるのかどうかさえ知らないのだ。理論家のなかには、空間と時間にも“最小の単位”があると考える人たちもいる。その単位は、時間の基本単位であるプランク時間と関係がありそうだ。ひも理論では、それ以上分割できない最小構成要素として小さな“ひも”の存在が仮定されている。(292ページ)

 

連続体は物理的実在か

 

 

 われわれ人間の感覚、認識、行動などは、われわれが生きているこの世界のありように深く影響を受けている。たとえ数学者といえども、この世に人間として生まれた以上は、物理的経験が思考の基礎となっているはずである。そして、時間や空間がなめらかにつながっている感じこそは、連続体という概念の母胎であったに違いない。もしも現代物理学が「時間と空間さえも離散的である」ことを首尾よく証明したとすれば、数学はいわば梯子をはずされてしまう。(訳者あとがき327ページ)

 

 

数直線は実在するか?

 

現代の物理学は、「時間と空間が離散的である」と強く主張している。連続体という概念は日常の物理的経験によって与えられた虚構ということになる。つまりは物理的には数直線は存在せず、単なる離散的数の集まりにすぎず、それは粗いザルのようなものということになる。

我々はあるレイヤーでは連続体の存在を前提とし、それより上(あるいは下)のレイヤーでは連続体を否定する離散的なデジタルの世界を前提としている。そしてこのレイヤーが統合される時、我々は“宇宙の果て”を知ることになる。

蛇足

 連続体仮説は証明も反証もできない命題である

こちらもどうぞ

 

kocho-3.hatenablog.com