毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

ダーウィン以前のラマラクの進化論今日的意味、獲得形質の遺伝は否定をされていますが、、、~『精神と自然』グレゴリー・ベイトソン(1979)

 

昨日に続いて2度目の登場

情報とはなにか? "差異(ちがい)を有む差異(ちがい)"という視点から~『精神と自然』グレゴリー・ベイトソン(1979) - 毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

 ラマルクは、現在では普通、獲得形質の遺伝という不名誉な遺伝の法則に関わって思い出されるだろうが、本書でベイトソンはラマルクの今日的意味を持つ事を説明するる。

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蟹の甲羅は様々な様に見えて、実は一定の法則で変化している

 

 

「存在の大いなる連鎖」の否定

 

 

「至上の精神」すなわち、〈ロゴズ〉が演繹の連鎖の頂点にある。その下に天使、そして人間、猿・・・ときとして草や石に至る。まず演繹的な序列があり、そこに「より完全に近いものは完全から遠いものからは生じえない」という、熱力学第二法則を思わせる前提が絡んで、万物の連鎖の向きが決定される。

 

 

生物学において存在の大いなる連鎖を逆向きに変えたのはラマルクだった。精神は生物の内部において現れ、生物の変化を決定しうるという主張した彼は、完全なものが不完全なものに常に先行するという、負の方向性をもった前提を廃し、原生動物にはじまり、そこから“上向き”に人間にまで至る“生物変移説―今日いうところの進化論―を提唱した。(25ページ)

 

ラマルクの「獲得形質は遺伝するという主張」への反論

 

 

子が親の持っていた選択能力を失った点で親とは異なるものになった、という事にすぎない。遺伝とは、なにか類似点の継承を言うのでなかったでしょうか?これでは違いの承継になってしまう。といっても“ちがい”は「もの」ではないから受け渡しはきかない。

 

 

それまで獲得によって得た形質を遺伝によって与えてしまえば、習慣や環境の要請に応じた個体の体細胞的修正の自由が奪われてしまう。・・・もしラマルクの説が正しいとしたら、進化の全プロセス、生の全プロセスは遺伝的決定に縛りつけられ、まったく自由のきかないものになっているはずである。(208ページ)

 

ソマティック(体細胞修正)プロセスをどうやって説明するか?

 

 

「この特徴を決定するにあたって、論理階型のどのレベルから遺伝的指令が発せられるのか?」-これが正しい問いかけである。そして答はいつも、「個体がソマティック(体細胞修正的)なプロセスによって学習および身体変化を成し遂げることのできるレベルを一段踏み越えた高次のレベル」となる。(220ページ)

 

進化とは遺伝的かつ体細胞修正的な確率的プロセスである

 

 

進化と呼ばれる遺伝的な変化も、学習と呼ばれるプロセス(習慣と環境に起因するソマティック(体細胞的)な身体上の変化を含む)、ともにストカスティック(確率的)プロセスだという大前提の上に本書は立つ。(201ページ)

 

ベイトソンは進化の背景に全智全能のデザイナーを置くかわりに、遺伝的プロセスを最上限のレベルとし、体細胞変化プロセスを最下位のレベルとするストカスティック(確率的)プロセスであると主張しているのである。

ラマルクの現代的意義

 

欧米社会では長年に渡って「存在の大いなる連鎖」が横たわってきた。至上の精神、あるいは神、の事である。西洋社会においては完全な存在から全てが生じたと考えていた。生物学の上でそれを逆転させたという点でラマルクは今も大きな意味を持つのである。そしてまた完全の存在を否定する結果となる進化論は批判される。

体細胞変化プロセスができる遺伝子が遺伝

 

それでも生物は体細胞変化プロセスを保有している。我々の皮膚は日焼けをし、又下に戻る。しかし日焼けした皮膚は遺伝しない。現在の分子生物学はラマルクの言う獲得形質の遺伝を否定している。現在の解釈は皮膚の色を変化させる複数の遺伝子が安定的に遺伝している事になる。

蛇足

不完全から完全が生まれる事を当然と受け入れたのはつい最近の事。

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