毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

世の中は誰にとっても偶発的なもの、現代的ダーウィニズムの視点から~書評 「理不尽な進化」 吉川浩満 氏

理不尽な進化 :遺伝子と運のあいだ

 「絶滅」という視点から生命の歴史を眺めながら、進化論という史上最強の思想が私たちに呼び覚ます「魅惑と混乱」の秘密を明らかにしていきます。2014年10月刊

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進化論には3つのパターンしかない

リチャードドーキンズは、これまでに人間が考案した進化論は煎じ詰めれば3つしかないと言っている。すなわちラマルキズム、自然神学、そしてダーウィニズムである。前二者とダーウィニズムのちがいはせの説明体系に偶発的契機が組み込まれているか否かにある。(163ページ)

ダーウィン進化論の革命性

大雑把にいうとそれは、生物進化のメカニズムを、進化の目的や神の摂理といった形而上学的はりは超自然的な原理なしに、因果的な自然法則を用いて生物進化を説明するという意味だ。(159ページ)

生命の樹

生物進化の道筋はあらかじめ定められたものではなく予見不可能な偶発性に左右されるものであり、その世界は整然としつらえた存在の連鎖ではなく不規則に枝分かれする生命の樹であるという、従来とはまったく違った進化論を提示する事になった。(162ページ)

偶発性の持つ意味

進化論、とくにその自然淘汰説は、基本的な考え方そのものが人間の通常の思考習慣とはまったく異なる種類のものだからである。・・・自然淘汰説は眼や脚や肺の進化を結果論的にかつ因果的に説明するが、私たちは普通それらを目的論的にしか理解できないのである。(偶発性という)この点において自然淘汰は、じつは量子力学相対性理論と同じくらい人間から隔たった理論装置だ。(367ページ)

我々は完全性を求め、偶発性を嫌う

どうして偶発性を嫌うか?偶発性に自己の利害、感情をつけると「運」である。運が良かった、逆に理不尽である、と憤る。世界は確定したものでも目的論的に一方向に進むものではない。恐竜が絶滅したのは隕石衝突による気候激変である。恐竜が巨大に進化したから隕石衝突を招いたのではない。そこにあるのは偶発性である。我々は完全性求め、偶発性を嫌う。進化論が論理的的対立や実社会での引用(恣意的な社会進化論)を引き起こした理由もここにある。人は出来れば偶発性の存在に眼を向けたくないのである。

蛇足

偶発性とは諸行無常の世界

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