毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

「水」は存在しない只の虚構に過ぎない~40年前の名著「ことばと文化」に学ぶネーミングの重要性

ことばと文化 (岩波新書)

鈴木氏は言語社会学が専門、「 文化が違えばことばも異なり、その用法にも微妙な差がある。」本書初版は1973年!、私の手元には2013年第73版がある。間違いなく名著である。

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H2Oを示す言葉

化学式ではH2Oで示すことのできる物質は、日常的な日本語では、温度及び様態によって、「氷」「水」「湯」の三つに区別して呼ばれる。それが英語では、Ice、Waterの2つであり、マレー語ではair一つしかない。(37ページ)

“もの”に言葉を与えるという事

“もの”にことばを与えるという事は、人間が自分を取り巻く世界の一側面を、他の側面や断片から切り離して扱う価値があると認めたということに過ぎない。化学式でH2Oと一括することのできる同一のものが、日本語で「氷」「水」「湯」「ゆげ」に始まり、「露」「霜」から「春雨」や「夕立」に至る何十という別々のことばで呼ばれていることは、しかし、確実な“もの”としての存在は、H2Oだけであって、それ以外の名称は名前だけの実体のない存在、つまり対象の側に必然的な裏付けのない虚構であるということにほかならないのである。(39ページ)

「しぶい」という“ことば”の定義

「しぶい」は(国語辞典では)“渋柿を食べた時などの、しびれるように舌を刺激する感じを与える。”この説明は、「しぶい」とか「しぶさ」とは、どんなものかという点については、一言も触れていない。買いてあることのいは、辞典の作者達がしっている「しぶい」という感覚が。、どのような方法を読者がとれば得られるかという、いわば目的地に至るまでの道案内を述べているだけである。(96ページ)

我々は実体の無いものに名前をつけている

私は夕立という言葉から、夏の夕立、雨の匂い、などを連想し、思い出す。夕立という言葉には水以上の付随する情報が含まれている。この情報はそれぞれの人が作り出した心象であり、「必然的な裏付けのない虚構」、つまりは個人の解釈に委ねられた曖昧な実体のないものである。

価値を作り出す

我々は虚構から“ことば”を切り出してきた。世界は「虚構ということば」に満ちあふれている。それは「新しい言葉が作り出され、それが共有された結果」であり、「新しい価値感を作り出され、それが共有された結果」でもある。新しいコンセプトとは新しい名前を作り出す事であった、そんな当たり前の事に気づく。

蛇足

新しいネーミングを考えてみる

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