毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

我々は「曖昧な」日本語を使って、日常的に利他を追求できる~それには西洋と日本の二重性の世界を生きているという自覚が必要

 

日本語教のすすめ (新潮新書)

 鈴木氏は社会言語学者、「日本語は英語に比べて未熟で非論理的な劣等言語である」―こんな自虐的な意見に耳を傾けてはいけない。」

 

日本語には西洋の言語に見られるように人称代名詞は数が多いどころか、むしろ存在しないと言うべきです。

ヨーロッパ言語は人称代名詞の専用の言葉("I"、"You"を持つ)

人称代名詞の役目は、今話をしているのは他ならぬこの俺様だよということを明確にすることです。そして二人称代名詞の役目は、俺の話は他でもないお前に向けられているのだよという事を確認強調することなのです。一人称二人称とは、言葉の発信者と受信者が誰かを、話し手が明らかにするための言語手段なのです。(175ページ)

 
日本語は人称代名詞、「私、俺」や「貴様、あなた」を使わない

 話し手を表す言葉(一人称代名詞)は、「私、俺、僕、拙者、手前、こちとら」といった具合に幾らでも考えつきます。人称代名詞は文法上は多いとされながら、人々は文法家が人称代名詞と呼んだ語彙はあまり使っていないのです。こと親族の間で目上の人と話をするときはこの所謂人称代名詞は使う事ができないという規則がある為仕使えないのです。(176ページ)

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目上の者に対し名前も人称代名詞も使えない、お父さん、お母さんなどの親族用語を使う

目下の者に対し名前も人称代名詞も使える、娘・息子などの親族用語は使えない

日本語は自称詞、対称詞、他称詞

私はこれらを含めた自分および相手を指すのに用いられる言葉を、自称詞、対称詞、そして他称詞とまとめて呼ぶ事にしたのです。(中略)「日本語は相手と自分をともに含むその場に相応しい何らかの社会的な枠組みを設定し、その中での相互の位置関係を表すような言葉を称詞、対称詞、そして他称詞として使っている」という事です。(178ページ)日本人はできる限り、話の相手との心理的対決を避けたいのです。ですから一見二人称の様に使われる「あなた、おまえ、そちら」などは皆相手のいる場所をいうことで相手を間接的暗示的に指すだけです。(211ページ)

  

Kochoの考えた事

我々は西洋文化圏に生きている。少なくともビジネス、学術の世界では西洋文化圏のスタンダートで行動する事が必要でありその場合人称を明確にする事が求められている。一方、日本語が自分と相手を含む場を設定しその共通利益=利他性を考えるという視点を提供するものだ、と考えればそれは西洋文化圏とは違ったスタイルであり美徳と言えよう。更に、西洋文化圏で日本語を使い、人称の明確化と共通利益を追求するというスタイルを二重に持った時、そこに深い論理性が生まれると考える。日本語の曖昧さは欠点ではなく、利他の追求として捉える努力が必要である。

 

蛇足

 

 

我々は西洋文化圏においてロジックを別にする言語を使う利点を認識すれば享受できる。