毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

貨幣と言葉、どちらも「皆が使う」というただ1点で支えられている~「貨幣という謎 金と日銀券とビットコイン」西部 忠氏(2014)

貨幣という謎―金(きん)と日銀券とビットコイン (NHK出版新書 435)

西部氏は進化経済学の研究家、貨幣が持つ不思議な原理と予期しない振る舞い。(2014)

 

 

貨幣と言葉

 

 

貨幣は物々交換をより効率的で便利にするものというより、その存在自体が物と物との交換を始めて可能にするものです。そして、貨幣は広範な商品売買を通じて豊かな物質文明を築き得る市場経済の可能性を開くことで、ハイパーインフレーションやバブルの発生、そしてそれらの崩壊としの恐慌や不況という人的策買いともいうべき由々しき事態をも引き起こすことになるのです。それは言葉が諸刃の剣であることによく似ています。(66ページ)

 

言葉はコミュニケーショの「使いにくい」前提条件

 

 

言葉がなければ自分が言いたいことを説明することも、相手が伝えたいことを理解することも十分にはできないのは確かです。言葉のやりとりを通じて自分と相手の考え方や感じ方の違いが明らかになるということもよく経験することです。・・・言葉はコミュニケーションのための便利な「道具」というよりむしろ、コミュニケーションの可能性を一般的に開くことによって、人が他者との困難なコミュニケーションをなんとか成立させようと絶えず努力するための不可欠な「前提条件」だということがわかります。(67ページ)

 

観念の自己実現

 

 

人々が同じことを考え、一斉に同じ方向へと動いてしまうと、それによってある観念が現実のものになる、非現実的な観念といえども自分自身を支え持ち上げてしまうという事態。これを「観念の自己実現」と言うことにしましょう。(105ページ)

 

観念の自己実現は習慣に依存

 

 

人と約束するとき、あの人はいままで約束どおり来たから今回も来るだろうと考えますし、自動車で出かけるとき、自動車は昨日までは故障しなかったから、今日も快適に動くだろうと考えます。・・・こうした多くの人が習慣的に行動していると、社会にある種の安定的な秩序、つまり習慣が生まれ、それが社会的な活動の枠組みになります。・・・過去から続く時間の中で人が世界は今日も明日も変わらないと信じることにより、「観念の自己実現」は「慣習の自己実現」として達成されていきます。(116ページ)

 

貨幣と言語、どちらも観念の自己実現に支えられている

 

我々は日本語という言葉を昨日まで使い、明日も使であろう。我々は大多数が日本語を使うという習慣を受け入れている。だから日本語が存在するのである。仮にあなたが米国に行けば皆が英語を使うことを知っている。だからあなたは英語を言葉として選択することを受け入れる。

通貨も言葉と同様である。昨日まで皆が使うことを受け入れ、明日も使うであろう。観念の自己実現によって成立しているのであり、通貨の本質は国家の維新や金属の価値による裏づけではない。西部氏は通貨には多くの種類が存在して良いと主張する。ドル、円などの国家通貨、電子マネー、コミュニティ通貨、ビットコインのような暗号通貨が併存する理論的枠組みが「観念の自己実現」、つまりは皆が使うから、というただ一点だと説明する。

世界には日本語、英語、様々な言語が存在する。言語=言葉は国家の維新によって使用が加速されることはあるが、その本質もまた「観念の自己実現」である。皆がある言語を使うから選択するのである。

ある言語が使われなくなれば、別の言語が選択される。貨幣も同様である。

蛇足

 

貨幣は「皆が使う」と決めたら何でもいい。

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