毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

どうして進化論は激しい意見の対立を巻き起こすのか?

ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫)

 著者はオーストラリアの生物学の哲学(!)の研究家。「自然淘汰と遺伝子の働きを重視し、利己的遺伝子説を唱えたリチャード・ドーキンス博士と、断続平衡説を提唱した古生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドが生物進化の仕組みについて戦わせてきた論争の解説。」Amazonより

利己的遺伝子説

生命の歴史とは、遺伝子の系統間の、ほとんどが目に見えない闘争に他ならない、多くの自然史の記録から知る事ができる、美しい生物学的メカニズムは、その闘争の目に見える産物である。それらは遺伝子の武器なのだ。他いりるしあう遺伝子連合は、永遠に続く軍拡競争に参加している。(18ページ)

もっとストレートに言えば、「遺伝子が自己の成功率(生存と繁殖率)を他者よりも高めようとすると考える事により進化が生じる」という事であろう。

断続平衡説~グルード

大部分の種の化石記録は、その種が最初に固定された時から姿をけすまでの間、何も重要な変化を見せていないと主張した。種の分化プロセスが5万年のうちに起きたならば、それは瞬間的と見なせるであろう。種の存続期間である200万年のたった2.5%にすぎないからだ。それは断続平衡的なパターンに従っていることになる。(93ページより整理)

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表現を変えれば「ダーウィンが主張した種の漸進的な変化は化石には実質的に存在せず、化石記録が示す断続と停滞は、ほとんどの種の実際の歴史を表していると主張」(Wiki)

本著者の説明

とりわけ小進化、すなわち地域集団内での進化的変化に関してはドーキンズの方が正しいと考えている。しかし大進化は、小進化をスケールアップしただけのものではない。グルードの古生物学的な視点は、大量絶滅とその結果について、そしておそらくは種と種分化の本質について、真の洞察をもたらしてくれる。従って、地域的なスケールの進化についてはドーキンズが正しく、一方地域的スケールの事象と古生物的に長大な時間スケールの事象との関連については、おそらくグルードの方が正しいということになるだろう。(167ページ)

二人の視点の違い~動物行動学のドーキング氏、と古生物学者のグルード氏

「フィンチの嘴(くちばし)」で有名な様に、鳥の嘴の形が環境に適合して変化する事が進化、と言われる。私は違和感があった、「進化でなく適合ではないか?環境の変化で一定の範囲で揺れ動いているだけでは?」

本書の視点、時間軸のとり方で違って見える事で私の疑問の回答と認識する。

蛇足

ドーキンスとグルード、双方が対立してきた、との事。神との関係の対立点がそれに拍車をかけたと考える。お二人が対立する理由が私には実感できない。(ビジネス上の利害は別として、、)