毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

すべての文字は絵文字から始まった、という発想とスタンプをつなぐもの~『私の国語教室』

私の国語教室 (文春文庫)

 

福田氏は評論家、歴史的かなずかいは「表記法は音にではなく、語に随ふべし」といふ原則に従っている。2002年刊

文字は絵文字であった

 

 発生的に考えれば、文字は音声とは無関係に、かつ音声を伴わずに、まず絵文字として出現したのであります。(318ページ)

音声言語の方が先にあったと考えていないか?

 

文字をもつ前は音声だけだったのだから、音声言語が生まれ、その後に文字言語が生まれた。それでは文字言語は音声言語を模写したものであろうか?アルファベットが表音文字として考えればその主張も理解できる。一方漢字を想定するなら漢字は絵文字から生まれた表意文字であって音声言語を模写したものとは言えなくなる。

そもそも純粋な音声言語は存在するのか?

 

 アルファベットは表音文字であると考えてきた。しかし、英語の発音と表記の関係が大体規則的と認められるのは、全体の87パーセントで、後の13%は不規則だということです。・・・完全に表音的な表記法などというユートピアを夢みてはいけない。(310ページ)

本当にアルファベットは表音文字だったのか?

 

実はアルファベットの起源はフェニキア文字に遡ると考えられている。そしてフェニキア文字も絵文字、あるいは象形文字、あるいは表意文字、の性格を強く持っていた。文字は音声とは別に、後から生まれたのであった。

f:id:kocho-3:20150204100341p:plain

【永久保存版】これは知らなきゃ損! アルファベット26文字の起源を示したイラストが実に面白い!! | ロケットニュース24

国語は必要か?

 

表音文字表意文字は国語教育という観点から注目をあびてきた。話し言葉をそのまま文章にすれば誰でもが理解できる、という発想である。著者の副田氏はどうして皆が易きに流れる必要があるのか、と言う。文章の書き手、読み手、その内容によって表現方法に差があってもいいと主張するのである。すべての表記を「話し言葉」にする必要はない、そうすると言葉の概念や意味が損なわれる、という主張である。一言で言えば「私は元来国民のほとんどすべてが誤りなく読み書きできる国語という考え方に疑問を持っています。」(301ページ)

SNSのスタンプ

 

絵文字であるスタンプを公文書に使う人はいないであろう。親しい人の間で感情を共有する為であればもっとリアルに伝達できる。そもそも表記方法を皆がに統一する必要がない事に気づく。

国語は国家が効率良く意思伝達を図る目的だった。とすれば国語を使う所とそれ以外の所が混在していても問題ない。人間同士のコミュニュケーションで大切なのは相手に「どういう感情」を伝わったか、がより大切である。感情を「どうやって」伝えたか、は「どういいう感情」を伝えたいか、に依存する。文字は音声とは別に生まれた別のメディアであったという事になる。

蛇足

 我々はスタンプによって新しい文字を創ろうとしているのかもしれない

こちらもどうぞ

 

紫式部に学ぶ恋のショートメッセージ~どうして源氏物語が最古の長編小説と呼ばれるか? - 毎日1冊、こちょ!の書評ブログ