紫式部に学ぶ恋のショートメッセージ~どうして源氏物語が最古の長編小説と呼ばれるか?
日本文学史をわし掴みにする快作、2009年発刊。
短歌の交換は恋のショートメッセージ
清水義範氏による粗筋
母恋しの色好み男が、自分の父の妻と密通し、罪の子をなす。その子にしてみば、兄だと思っている人が実は父なのだ。そして一度は政治的に失脚した光源氏が、自分の子が天皇になった時代には栄華を極める。・・・そして第一部の後半では、光源氏は自分の犯した罪のむくいを受けるのだ。若い妻をもらったところ、その妻は別の男の子を生む。すべてをしった光源氏だが、何も言わずに受け入れるしかない。これは私は昔したことが、そのまま我が身に返ってきたのだ、と持って。(20ページ)
源氏物語は構造を持つ
この小説の基本構造が畏れいっちゃうぐらいすごい。この構造は、長々と書いているうちに自然に思いついた、というようなものでは決してないだろう。書き始めた時からチュ真ストーリーはこう、と決めてあったとしか思えないのだ。そんなこと、よくできたものだと思ってしまう。そんなしっかりした、意味の深い物語展開の小説は、ほかにもひとつもない時代なのに紫式部はこれを思いついたのである。(21ページ)
源氏物語には795の短歌
平安貴族たちは実にしばしば短歌のやりとりをした。ことに男女間では、短歌によって相手の気を引こうとするのが日常であり、一種のラブレターでもあった。・・・気を引いてみたり、お世辞を言ったり、すねてみたり、恨みごと言ったりのすべてを、短歌で伝えるのである。(33ページ)
源氏物語で紫式部のやっていることのとてつもなさがよくわかるのである。彼女は実にさまざま、百人以上の人の短歌を、その人らしく作っているのだから。不器用な人の短歌は不器用に作らなければならず、チャーミングな人の短歌はチャーミングに作らなければならない。それは信じられないくらいに大変なことである。(47ページ)
どうして源氏物語は最古の長編小説と呼ばれるか
紫式部は構造を決めて、人物を活躍させた。近代小説の定義が“話の展開に内容から導かれる必然性があるもの”であり、「虚構の連続性と因果律のある話の構造」を持たねばならないとする。だからこそ源氏物語は世界最古の長編小説と呼ばれるのであろう。
また自分と相手、そして恋のライバルという違った視点を短歌によって表現した。登場人物の視点を使い分ける事により他人の感情を類推するという心理行動をも内包している。我々が小説を面白いと思うとき、登場人物の心情の変化に同調するからであると気づかされた。
源氏物語が我々に残したもの
清水氏は短歌のやりとりを「人と人の心をつなぐとても大切なコミュニュケーション」と表現する。そして我々は源氏物語を古典として学習している事で繊細なコミュニュケーションの重要性が集団の暗黙知となっていると指摘する。短歌のやりとりとメール、twitter、lineは文字情報の交換という点から一緒である。我々が一字一句に工夫し、それに愉しさを見出す最大の理由は相手の反応を推理するゲームだから。紫式部は登場人物に成り代わって795の「恋の駆け引きの本気モードの」ショートメッセージのメッセージを作り分けていた、凄すぎる。もっと言えば平安時代の女性が短歌のテクニックを学ぶ実用書だったのかもしれない。
蛇足
文字(と絵文字、とスタンプ!)でどこまで相手に近づけるか?