宮澤賢治「グスコーブドリの伝記」が今に伝えるもの~地球温暖化の議論はいつ始まったか?
時代の危機をいち早く察知して作品に取りこみ、それが社会に対する警告や警鐘になったことが少なからずある。
21ページ、グスコーブドリの伝記の執筆時期1932年頃の気候変動
グスコーブドリの伝記
グスコーブドリ(ブドリ)はイーハトーブの森に暮らす樵(きこり)の息子として生まれた。彼はペンネン老技師のもとでイーハトーブ火山局の技師となり、噴火被害の軽減や人工降雨を利用した施肥などを実現させる。ブドリが27歳のとき、イーハトーブはまたしても深刻な冷害に見舞われる。火山を人工的に爆発させることで大量の炭酸ガスを放出させ、その温室効果によってイーハトーブを暖められないか、ブドリは飢饉を回避する方法を提案する。(Wikiより)
「グスコーブドリの伝記」の中の地球環境史
宮沢賢治は1930年代に、すでに大気中の二酸化炭素の増加が地球温暖化を招くことを知っていた。ポジティブ思考の賢治は、火山を人工的に噴火させ、噴出する二酸化炭素で地球を温めて、東北地方の冷害から人々を救おうとする。
東北地方の飢饉
東北地方は、つねに冷害の脅威にさらされてきた。宮沢賢治の作品 を読むと、東北地方の過酷な気候で米をつくらねばならない人の苦難のなかに、「サムサノナツハオロオロアルキ」とあるように、繰り返し夏季の低温に悩まされた。・・賢治の晩年 の1930年(昭和5年)から死後の35年にかけて東北地方は「昭和東北大飢饉」となずけられた日本史上最後の大飢饉に襲われた。・・・・日本の経済は危機的状況に陥り、農村は一段と困窮の度を加えた。
火山噴火の気象への影響
火山噴火は通常、温暖化ではなく寒冷化を引き起こすことが知られている。噴火で噴出したエーロゾールがその原因だ。エーロゾールとは、噴煙に含まれる個体もしくは液体の微粒子の総称だ。対流圏では降水ですぐに洗い流されるが、成層圏にまで上がったエーロゾールは長期にわたって漂い、成層圏の下部では一年間前後、中部では2-3年も滞留する。
温暖化の可能性はアレニウスが指摘
温暖化の可能性を決定的に予言したのはスウェーデンの物理化学者スバンテ・アレニウス(1859-1927 )である。・・・「地表が快適な温度に保たれているのは、大気が部屋の窓ガラスのように光は通しても熱は通さないためである。気温は、温度を下げる大気中の微粒子と雲の量と、上げる炭酸(二酸化炭)のバランスによってきまる。」・・・「グスコーブドリの伝記」の記述は、アレニウスの説に近い部分が多く、宮沢賢治がこの論文を何らかの形で読んでいた可能性も否定できない。
グスコーブドリの伝記が我々に伝えるもの
わずか90年前に昭和東北大飢饉があった事に驚く。冷夏の前では「サムサノナツハオロオロアルキ」しか方法がなかった。宮沢賢治はそこに火山の噴火というアイデアで童話を書いた。火山の噴火の二酸化炭素の+とエーロゾールの-、一般的には-の方が大きいと考えられている。その意味で宮沢賢治のアプローチには疑問符がつく。また二酸化炭素の濃度の上昇と地球温暖化に本当に因果関係があるかもまた現在議論のわかれている所。つまりは100年前と同様に我々は地球の温度変化を予測する事も制御する事も本質的にはできないという事がわかる。地球温暖化の議論は既に始まった100年近い歴史のあるテーマであり、今日急浮上したテーマではないという事。
蛇足
飢饉は移動の自由が存在しない時顕在化する。